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2026/09/09

千住本氷川神社

足立区千住にある神社。公式ページによると徳治2年(1307年)に下総国千葉氏が、牛田に千葉山西光院と共に氷川社として創建されたと伝えらている。また、明治43年(1910年)に荒川放水路構築のため、牛田氷川神社を合祀した。

千住本氷川神社 鳥居

境内はJR・東京メトロ「北千住駅」から徒歩5分の場所にある。鳥居をくぐると参道があり二の鳥居に先に社殿が見えるが、こちらは旧社殿で末社とし三峯神社・久須志神社・大黒天が祀られ、右手には別に三精稲荷神社もある。

千住本氷川神社 旧社殿

境内にはこの他にも足立区ラジオ体操発祥の地の碑や松尾芭蕉「奥の細道」の石碑などある。なお、旧社殿は日光東照宮造営に奉仕した大工が建立したと伝えられており、見事な龍や鳥類の彫刻が確認できる。

千住本氷川神社 稲荷社

現在の社殿は、旧社殿から参道を右に折れた先にあり、昭和45年に新築したものとなる。一対の狛犬に迎えられ、赤い柱の拝殿が見える。鉄筋コンクリート銅板葺きの社殿だが、木造のような温かみのある造りになっている。

千住本氷川神社 社殿

御朱印は境内にある神楽殿の奥にある社務所で拝受できる。窓口があり御朱印帳を渡すと対応していただける。直書きで初穂料は500円。通常タイプの他に季節の限定御朱印もいただけるが、こちらは書き置きのみとなる。 

千住本氷川神社 御朱印


2026/08/28

島根鷲神社

 足立区島根にある神社で“わしじんじゃ”と読む。公式ページによると文保二年(1318年)中興と伝えられる。当地は古代には海岸線で島の根のように出た地に、神々が船でお着きになった処とされる。

島根鷲神社 鳥居

主祭神は日本武尊で、先着の神々をお祀りしたことから浮島明神または大鷲尊とも呼ばれ、鎌倉時代以降に鷲大明神となった。また、江戸時代のは三代家光公・八代吉宗公等のご事跡があったとされる。

島根鷲神社 手水舎

境内は東武スカイツリーライン「西新井駅」から徒歩18分の場所にある。大鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎があり、参道を真っ直ぐに進むと社殿が見える。また、参道右手には島根神代神楽が奉納される神楽殿がある。

島根鷲神社 社殿

社殿の右側奥には徳川吉宗公が座られたとされる将軍石や吉宗公ゆかりの吉田順庵先生島根学問所跡が確認できる。さらに奥に進むと富士塚があり登ることも可能で7月には富士開きが行われる。さらに社殿の左手には境内社の三峯神社も鎮座する。

島根鷲神社 将軍石

住宅地の中にあり境内は大規模ではないが、歴史を感じさせる。年間に行われる祭典行事も多く、祭りに欠かせない「島根ばやし」は神田囃子の流れを汲むものだそう。近隣地域の総鎮守・守護神として今も崇敬を集めていることがわかる。

島根鷲神社 富士塚

なお、御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。窓口のあたりをウロウロ歩いていると声をかけていただいた。御朱印は書き置きのみで鷲神社の他に、富士塚の御朱印(初穂料は各500円)もいただいた。

島根鷲神社・富士塚の御朱印


2026/08/08

綾瀬稲荷神社

 足立区綾瀬にある神社。いただいたリーフレットによると創建は“慶長十九年(1614年)、豊臣氏と徳川氏が争った大阪冬の陣が起きた年と伝えられる”とある。また公式ページには、その年に“村人が浄財を出し合い、伏見稲荷より御分霊を勧請したとある。

綾瀬稲荷神社 鳥居

また、江戸時代には『稲荷神社』と称していたが、明治7年(1874年)に『五兵衛神社』と改称し、さらに昭和42年(1967年)に現在の『綾瀬稲荷神社』に改称。400年という長い間、地域の氏神様として崇敬されてきた。

綾瀬稲荷神社 手水舎

境内はJR・東京メトロ「綾瀬駅」から徒歩3分の場所にある。鳥居をくぐり、右手に手水舎がありさらに進むと石灯籠の先に二の鳥居、狐像と狛犬に迎えられた正面が拝殿になっている。また境内の左側には神楽殿も確認できる。

綾瀬稲荷神社 拝殿

参道を入ってすぐ左手には富士塚と浅間神社がある。また手水舎の手前には三峯神社、さらに境内末社として弁天社がある。富士塚は一見登れそうな感じだが、安全上の理由で登らないでと注意書きがあった。

綾瀬稲荷神社 富士塚

神社には数々の奉納品があり、拝殿前にある獅子・狛犬は落語家・三遊亭円丈師匠が寄進。また殿内には古代弦楽器「箜篌(くご)」の試作品、その他にも、下をくぐることで悪しき邪怪妖霊(悪い虫)を切り払うと伝えられる納め太刀が掲げられている。

境内末社 三峯神社

御朱印は社殿左手にある社務所で拝受できる。呼び出しボタンを押すと窓口で対応していただける。書き置きのみで通常タイプと神輿の絵柄が入ったタイプの2種類から選ぶ。初穂料はどちらも500円で今回は神輿タイプにした。

綾瀬稲荷神社 御朱印

2026/07/12

西新井雷神社

 足立区西新井にある神社で「雷」は“いかづち”と読む。境内掲示の由緒書によれば、“正徳三年(1713年)この地方は度び重なる落雷に襲われ田畑は荒れ果て草木は枯れて荒地と化し…”とある。

鳥居

足立風土記稿によると、創建は定かではなく享保期に新田開発や治水が進んだ(享保の改革)が、人々は、再び村が荒廃しないよう大雷神を祀り、境内の中央にご神木として椎ノ木を植えた。これが当社の始まりとされる。

手水舎

境内は東武線「西新井駅」から徒歩20分の場所にある。鳥居をくぐると右手に手水舎があり、すぐ正面が社殿という配置。拝殿の前に狛犬があり、左奥には神輿庫が確認できる。また、境内左側は地域の集会所も兼ねた社務所となっている。

雷神社

最寄り駅から距離があるが、途中に小さな公園がいくつもあるので疲れたら休憩ができる。徒歩だと線路脇の住宅街の路地を進んだり、地下道をくぐったりかなり入り組んでいるため、地図アプリは必須。散歩としてはかなり楽しかった。

狛犬と神輿庫

御朱印は社務所で拝受できる。御朱印の対応日が決まっているため、事前に西新井雷神社公式Xで確認してから参拝するのがおすすめ。御朱印は直書きで初穂料は500円。御朱印の他に小さなシールもいただきありがたかった。

御朱印




2026/06/04

千住神社

 足立区千住宮元町にある神社。公式ページによると、創立は延長四年(926年)に伏見稲荷より分霊を勧請し、稲荷神社を創立したのが始まりで、弘安二年(1279年)に一の宮氷川神社の分霊を勧請し、氷川神社を創立した。

一の鳥居

明治五年(1872年)両社は村社と定められ翌年に稲荷神社を氷川神社に合祀。千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあったため西森神社に改称し、さらに昭和四年(1929年)社名を千住神社と改められた。

手水舎

境内はJR・東京メトロ「北千住駅」から徒歩15分。国道4号線を越えた住宅地の中にある。3本の鳥居をくぐり奉納灯籠が続く先にあるのが社殿で、途中の左手に手水舎がある。また、第二次世界大戦の中で焼け残った夫婦銀杏の御神木も確認できる。

社殿

その他、火伏せ三社(三峯神社・恵比寿神社・八幡神社)や稲荷神社、天満宮、千住富士と呼ばれる浅間神社など数多くの末社がある。千寿七福神の願かけ恵比寿神は台座が回転する「まわる恵比寿様」として知られている。

境内末社

境内には神楽殿や神輿庫、御神木以外にも焦げ跡を残しながらも戦火を逃れ生き続けている銀杏の木(不屈のイチョウ)が大切に保存されているなど、1100年以上の歴史を誇る神社であることを感じさせる。

御神木

御朱印は社務所の授与口で拝受できる。人が不在の場合はインターホンで呼び出せば対応していただける。通常御朱印のほかに。限定御朱印や記念御朱印など選べる。通常御朱印は直書きで初穂料500円。恵比寿神の御朱印もあるようだ。

御朱印

2017/08/30

江北氷川神社

足立区江北にある神社で創建年代は不詳だが、古代から御祭神である素盞鳴尊を治水守護神としてお祀りしており、荒川を出雲の國・簸川(ひのかわ)の故事に見立てて氷川神社を創建したとも伝えられる。


沼田村(旧地名)の鎮守社だったが明治初年村社に昇格し同時に旧江北村(沼田、鹿浜、鹿浜新田、加賀皿沼、高野、谷在家、宮城、小台、堀之内)九ヵ村の総本社となった。


荒川沿いを走る首都高川口線のすぐ下にあり、鳥居から社殿までまっすぐの参道が見える。左手に手水舎があり、正面の拝殿は明治八年(1875年)に造営されたものらしい。なお本殿は天保四年(1833年)に再建されたものとある。


参道の途中左手に稲荷社や弁天社などの小祠が並び奥には庚申塔などもあるが、いくつもの村が合併してできた江北村の歴史から、各所に祀られていたものが総鎮守である当社に遷されたと考えられる。


この他にも拝殿右手前には大黒様・恵比寿様を祀る小祠、さらに右奥には境内社の諏訪神社が鎮座。現在も足立区西部一帯の総本社として近隣17社の神社を兼務されている。


御朱印は社務所で声をかけると対応していただける。見開きの毎年変わる和歌が書かれた御朱印で、お願いする際に記帳する形式。手製の栞を挟んでくださり宮司様の心遣いがありがたい。