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2026/07/26

志演尊空神社

 江東区北砂にある神社で“しのぶそんくうじんじゃ”と読む。昭和22年に志演神社と尊空神社を合併し志演尊空神社となった。東京都神社庁公式ページによると“寛永元年、菅原長寛(道真公より22代目)が村民の願いを受けて稲荷大神を鎮座した”のが始まりとされる。

志演尊空神社 一の鳥居

もともと深川稲荷と称していたが、徳川綱吉が鷹狩りの途中に参拝した際、「志演神社」と命名したと伝えられている。また、江戸時代に疫病退散の護摩をたいたことがあることから「ゴマの稲荷」とも呼ばれている。

志演尊空神社 手水舎

境内は東京メトロ「南砂町駅」から徒歩15分くらいの場所にあるが、都営バスで「境川」で下車すれば約4分で着く。一の鳥居をくぐりすぐ左手に手水舎があり、狛犬と二の鳥居の先が拝殿となっている。

志演尊空神社 拝殿

境内社はないが、境内右手に力石がある。また右奥に社務所があるが、通常時は開いていないようだ。広くはないがベンチが複数あるため参拝後に休憩できる。地域の人が毎朝ラジオ体操を行う憩いの場にもなっているようだ。

拝殿の各案内

御朱印は拝殿の賽銭箱の脇にある、書き置きタイプのものを取り出して、賽銭箱に初穂料500円を納める方式になっている。また江東区神社マップにスタンプを押しながら15社巡りも楽しめるようだ。

志演尊空神社 御朱印


2025/03/23

宇迦八幡宮

 江東区千田にある神社で御祭神は宇迦御魂命と応神天皇。いただいた由緒書きによると享保年間(1716年)に近江の国から千田庄兵衛がこの地に来て、徳川吉宗に開拓を願い出て村造りを進め、千田新田と名付けられた。

当時は小さな祠だったが千田庄兵衛が社殿を造り千田神社として崇敬を集めるようになった。田畑に穀物が実らず祈願すると、片栗を栽培するようお告げがあり、村民を救ったという伝説があり片栗八幡宮ともいわれた。

戦災により社殿は焼失するも、昭和27年(1952年)に戦前と同型・同様の社殿を建設し、現在の宇迦八幡宮に改称した。さらに、昭和55年(1980年)社殿に大改築を行い、平成五年(1993年)にはみがわり地蔵尊も建てられた。

境内は木場公園と猿江恩賜公園の中間くらいに位置し、鳥居をくぐって右手に手水舎、正面が社殿、その右側に社務所がある。また社殿の左奥にはみがわり地蔵尊が見える。木の彫刻など意匠にもこだわり再建されたことがわかる。

御朱印は社務所で拝受可能で、インターホンのボタンを押すと対応していただける。神職が不在の場合は書き置きになるらしいのだが、今回は直書きでいただけた。社務所の玄関を入るとお守りなども並んでいる。

2025/02/27

亀高神社

 江東区北砂にある神社。寛永年間(1624~44年)にこの地を開発の際に五穀の神として創建。かつて亀高とは亀戸新田村と高橋新田村の2ヶ村があったが、これを一つの村とし両方の先頭の文字をとったとされる。

都営新宿線「大島駅」と東京メトロ「南砂町駅」の中間に位置し、どちらの駅からも徒歩で10分以上かかる。アリオ北砂や砂町銀座商店街の近くなので、買い物や飲食を楽しみながら途中で立ち寄るとよいだろう。

鳥居は南砂町側にあるが、そこから境内までの参道は住宅街の真ん中を突っ切るかたちになる。1945年の空襲で消失しており、1968年に現在のコンクリート造の社殿になるまで仮宮だったらしい。

社殿に向かって左手に手水舎があるが、水は張られていなかった。一対の狛犬に迎えられ、その先に重厚な社殿が構える。境内に社務所はなく、代わりに北砂四七丁目会館という建物がある。

御朱印はその会館の1階の事務所で拝受できる。町会の方々が業務を行っており、御朱印対応もその一環のようだ。ドアを入って声をかけると丁寧に応対していただけた。

2018/09/19

亀戸香取神社

江東区亀戸にある神社で、公式ページによれば創建は天智天皇四年(665年)、藤原鎌足公が東国下向の際に亀の島に船を寄せ、香取大神を勧請して太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰いだのが始まりとされる。


平将門が乱を起こした際、追討使俵藤太秀郷が当神社で戦勝を祈願。乱をめでたく平定した後、弓矢を奉納し勝矢と命名したとされる。「スポーツ振興の神」として名が知られているのはそうした由来があるためだ。


JR亀戸駅から明治通り沿いに北上するとやがて左手に鳥居が見えてくるが、参道は蔵前橋通りとの交差点を左に折れて少し進んだところから続いている。参道沿いには商店が立ち並んでいて(勝運商店街)独特の雰囲気がある。


参道を真っ直ぐに進むと境内に入る手前に黒い鳥居があり、そこをくぐると左手に亀戸大根之碑と手水舎がある。江戸から明治にかけて亀戸では大根づくりが盛んだったらしく「亀戸大根」の名で知られる。


参道を進んだ正面が拝殿となるが、右手前には神楽殿、その先には数多くの末社が鎮座する。熊野神社・三峯神社・水神社の合祀殿、福神社、稲足神社、天祖神社と並んでいるので順番にお参りができる。


また拝殿手前の右手には大黒様と恵比寿様の像があり、柄杓で水を掛けて自分の痛いところを洗い清めるとよいと言われる。またさらに右奥には亀戸の地名に由来とされる復元された「亀が井戸」もある。


さらに拝殿手前の左手には「勝石」が置かれている。説明書きに“勝石に触れて勝運と幸運を授かりましょう”とあったので、賽銭を入れて触れてきた。鎮座1350年記念として2016年に置かれたものらしい。


なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。窓口で御朱印帳を預け、番号札を受け取って書き上がるのを待つ形式。御朱印の他にも勝守りや勝運袋などもここでいただくことができる。


2018/08/05

亀戸天神社

江東区亀戸にある神社。正保三年(1646年)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔)が神のお告げにより天神信仰を広めるため諸国を巡り歩き、寛文元年(1661年)に江戸の本所亀戸村にあった天神の小さな祠にご神像をお祀りしたのが始まりとされる。


寛文二年(1662年)太宰府の社にならって社殿、回廊、心字池、太鼓橋を設営し、その後350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてきた。明治六年に准勅祭神社に指定され東京十社の一つになり、昭和十一年に現在の亀戸天神社になった。


境内はJR錦糸町駅と亀戸駅の中間くらいの場所にあり、京成線押上駅からも歩ける。錦糸町駅からだと錦糸公園を斜めに抜けて横十間川を渡り、墨田区から江東区になった辺りにあるのでわかりやすい。


大鳥居をくぐるとすぐに太鼓橋(男橋)。橋の上からは境内を見渡すことができ、さらに参道を進むと平橋があり、その先に二番目の太鼓橋(女橋)が見える。また参道の途中には弁天社がある。


女橋を渡ると右手に手水舎があり左手には菅公像、その少し先には、天神信仰らしく神牛像(撫で牛)。そして正面には立派な社殿が構えている。戦後に再建されたものらしいが、さすが東京十社に数えられるだけあって迫力がある。


境内社として弁天社の他に御嶽神社、花園社がある。御嶽神社は亀戸天神別当の玄関辺りにあったが延宝五年(1677年)に移されたらしい。ここに祀られている法性坊は道真公の教学、御所の師で、道真公薨去の後は太宰府天満宮の社殿造営に関わられたらしい。


なお御朱印は社殿右手奥にある授与所で拝受できる。窓口で御朱印帳を渡して番号札を受け取り書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で御朱印と一緒に「すみだだより」や天神まつりなどのパンフレットもいただいた。


2018/07/08

大島稲荷神社

江東区大島にある神社。公式ページによれば慶安年間(1648~1652年)に洪水などの水害に悩まされがちな武蔵国南葛飾郡大島村の村人が平安を祈って京都の伏見稲荷大社御分霊を奉還して祀ったのが始まりとされる。


また松尾芭蕉ゆかりの稲荷神社としても知られ、元禄五年に門弟である桐奚宅を訪ねる途中でこの神社に立ち寄った際に「秋に添て行はや末ハ小松川」とという句を詠んだと言われ、境内には句碑「女木塚」も建てられている。


都営新宿線の大島駅から徒歩で5~6分の場所に境内がある。かつて洪水をもたらしたとされる小名木川は今もあり、鳥居は川に向かって建っている。参道を進んで右手に手水舎、正面が拝殿となっている。


参道を入ってすぐ右側には境内社の佐竹神社が鎮座。昭和六十三年に現宮司の佐竹氏により建立され、佐竹氏の祖霊が祀られているとされる。また神紋が梅鉢紋なので菅原道真公も祀っていると考えられる。


なお御朱印は拝殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出しで御朱印帳を渡して待つ形式。今回は佐竹神社の御朱印もいただいた。大変丁寧に対応いただいた上にお菓子などもいただきありがたかった。


2018/04/22

東大島神社

江東区大島にある神社。江戸時代からこの地区に永平神社、子安神社、小名木神社、北本所牛島神社、南本所牛島神社があったが昭和二十年の東京大空襲ですべて焼失。その後、街の復興とともに再建の声があがり、昭和二十四年に合併し東大島神社が創立された。


しかし月日とともに社殿等の老朽化が進み、昭和五十三年に現社殿・参集殿が建立。平成十四年に御鎮座50年事業として社殿の修復、平成十九年に境内玉垣改修工事等も行われ、現在の姿になった。


場所的には都営新宿線の大島駅と東大島駅の中間あたりに位置し、新大橋通りから少し北に入ると江東区有形文化財に登録されている大鳥居が見える。境内は広く立派な社殿の他にも庚申塔や力石など様々な石材物も並ぶ。


境内の一角が公園になっており、たまたま植木市が開かれていた。大きな通りの近くにありながら静かで清々しい空間が広がっているのは神社ならではの光景と言える。ベンチも用意されていたのでしばらく休憩することにした。


なお御朱印は社殿右手にある社務所でお願いできる。インターホン呼び出し形式で入り口で御朱印帳を渡して待つ。江東区内の神社のリーフレットもいただきありがたかった。



2018/04/08

亀戸浅間神社

江東区亀戸にある神社。日本武尊が東征の折、相模から上総へ船で向かう際に暴風に遭い、日本武尊に従っていた弟橘媛が自らの身を海に投じたところ暴風が止み船は無事に着くことができた。


その後、弟橘姫の笄と櫛が奥湾に漂着し、それを埋めた笄塚に祠を立てて祀ったのが始まりとされる。大永七年、後奈良天王・室町時代(1527年)里人・甘露寺元長が富士山より木花咲耶比売を勧請し、浅間社として創建した。


現住所は亀戸9丁目だが、都営新宿線の東大島駅からの方が近く、高層マンションに囲まれながら住宅街の中に立派な鳥居が見えてくる。境内の東南にある六ッ目地蔵小屋には他の供養塔と一緒に庚申塔がある。


大鳥居をくぐると左手に手水舎、さらに参道を進むと右手に社殿が見えてくる。また境内北側には旧社地だった亀戸の富士塚(笄塚)がある。現在は公園として整備されているが石碑や奉納碑、猿の石像が残る。


境内社として稲荷神社と下浅間神社が鎮座する他に富士せんげん道道標、水盤、石燈籠、天水桶など数多くの文化財が置かれている。


御朱印は社務所で拝受が可能。インターホン呼び出し形式で、御朱印帳を渡して待つタイプ。初穂料は500円で御朱印と一緒にしおりもいただいた。


2017/11/26

江東天祖神社

江東区亀戸にある神社で、創建は推古天皇御代(約1,400年前)に聖徳太子作のご神像を御神体として祀ったのが始まりとされる。御祭神は天照皇大神で、天保年間に疫病が蔓延した際に織田信長が使者を遣わせて流鏑馬を奉納したところ収まったと言われる。


この地は以前は湾の奥にあって小島が点在するような場所で、京島、向島などと並び柳島と呼ばれていたため柳島総鎮守神明宮と称されていた。そのため洪水や災害で何度も社殿が崩壊した歴史を持つ。


永享年間に社殿崩壊後は戦乱の世の中で修復が進まなかったり、天文十年に再建するも安政・大正の大震災で社殿は崩壊。昭和四年に反対意見の多い中、日本で初めての鉄骨筋コンクリートの社殿が築かれた。


亀戸天神社の裏手を進んでいくと鳥居が見える。鳥居をくぐると右手に手水舎があり、その後方には亀戸七福神の福禄寿。またその周辺には、多くの道祖神や童像が鎮座し独特の雰囲気がある。


拝殿は参道を真っ直ぐ進んだ正面にあって、その左手前には社務所。拝殿前にある一対の獅子山型の狛犬は古いものに見えるが、現社殿に改築された後の、昭和五年に奉納されたものらしい。


境内社として樋口一葉の「たけくらべ」にも出てくる太郎稲荷神社も鎮座。広い境内ではないものの奥が深く、厳かな中にも温かみを感じる神社で何度も足を運びたくなった。


なお、御朱印は社務所でお願いできる。窓口で書き上がるのを待つ形式だが今回は天祖神社の御朱印とこちらのオリジナル御朱印帳もいただいた。