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2026/06/06

城山熊野神社

 板橋区志村にある神社。公式ページによると、長久3年(1042年)、武将志村将監が熊野三山から勧請、奉斎することで創建したとされる。また、永保3年(1083年)の後三年の役で源義家が奥州の平定に向かう際に祈願したと伝えられる。

鳥居

境内は都営三田線「志村三丁目駅」から、徒歩6分くらいの位置にあるが“城山”という通り、坂を上ることになるため時間を要した。板橋区教育委員会の説明によれば、志村城は志村氏により築かれたとされるが、康正二年(1456年)に千葉自胤が赤塚城に入城した。

手水舎

熊野神社の位置する場所は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に鎮座している。大永四年(1524年)に千葉氏が滅亡した後は、志村七ヶ村の総鎮守となり、江戸時代には志村の鎮守として近隣から崇敬を集めた。

社殿

境内は木に囲まれ「鎮守の森」といわれる。鳥居をくぐり参道を真っ直ぐに進むと社殿の左手前に手水舎がある。右手に神楽殿があり、その奥に絵馬殿がある。絵馬殿には板橋区最古の絵馬が展示されているらしい。

末社合祀殿

社殿の右手奥に招魂社、さらにその右手前には末社として合殿に八社(皇大神宮・八幡神社・榛名神社・大山阿夫利神社・武蔵御嶽神社・桃花稲荷神社・溜下稲荷神社・石神社)が祀られている。

絵馬殿

御朱印は、手水舎をさらに奥に入ったところにある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し方式で書き置き(初穂料は300円)のみとなっている。初詣の際は、オリジナルのおみくじも授与しているらしい。

城山熊野神社 御朱印


2026/05/15

中台稲荷神社

 板橋区若木にある神社。境内に掲示されている由緒書きによると、創建年代は不詳ながら、当社の境内地は稲荷大神が降臨した場所と伝えられ、「稲荷渡(とうかわたり)」と呼ばれていたとされる。

中台稲荷神社 鳥居

江戸時代は中台村の鎮守で延命寺が別当(管理者)にあたっていた。神社に伝わる「四季農耕図絵馬」は、明治十八年(1885年)氏子の中台東組によって奉納されたもので、農家の暮らしぶりが分かる資料として区の有形文化財に指定されている。

手水舎

境内は東武東上線「上板橋駅」から坂を上って徒歩10分くらいの場所にある。鳥居をくぐると左手に手水舎、斜め右方向に神楽殿が見える。石灯籠が並んでおり正面にある拝殿の手前で狛狐に出迎えられる。

拝殿

拝殿の左奥にはご神木(ムク)と境内社の御嶽神社がある。このムクの木は中山道と川越街道を結ぶ間道の目標とされ、「稲荷越の大木」 と呼ばれていた。なお、平成六年(1994年)に板橋区登録文化財の天然記念物に指定されている。

御神木と御嶽神社

御朱印は社務所で拝受できる。社務所入口の横にあるインターホンで呼び出し、窓口で御朱印帳を渡すと直書きしていただける。初穂料は500円で、窓口には御守りや御札。おみくじなどが並んでいた。

御朱印


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2026/02/15

双葉町氷川神社

 板橋区双葉町にある神社で、社伝によると応永年間(室町時代)武蔵国一の宮氷川神社より勧請とされる。江戸時代には江戸四宿の一つ板橋上宿と根村の産土神として崇敬され、根村松山氷川大明神ともいわれた。

境内は都営三田線「板橋本町駅」から徒歩7分。環状七号線から入ってすぐの場所にあるが、専用駐車場はない。参拝時に止めてもよいスペースが用意されているが、車止めがあり広くないのでおすすめしない。

一ノ鳥居をくぐると細長い参道が続き、二の鳥居の先の右手に手水舎がある。鳥居の中の境内に入ったら動画・写真撮影は禁止なので注意したい。手水舎のさらに右手奥に神楽殿があり、その奥には境内社の稲荷神社がある。

参道入口から撮影したものを拡大

参道を真っ直ぐに進んで正面が拝殿で、その左手前に社務所がある。御朱印は社務所の窓口でボタンで呼び出すと対応していただける。御朱印は見開きタイプで境内社のものも含め3種類。初穂料は5OO円だった。




2025/11/15

西台天祖神社

 板橋区西台にある神社。東京都神社庁の由緒説明によると創建年代は不詳ながら口伝によれば円墳の上に営まれた神祠があったとされる。旧幕時代には神明社と称され明治6年に天祖神社と社号が改められた。

境内は都営三田線の西台駅から徒歩15分の場所にあるが、周囲は坂が多くて迷いやすい。鳥居をくぐって正面に拝殿が見える。真っ直ぐ進むと左手に手水舎、右手に神輿庫、神楽殿が確認できる。

境内社が多く、本殿の左側に八雲神社、春日神社・伊勢神宮・杵築神社、水神社が並び、少し離れた場所に稲荷神社もあった。さらに、鳥居を入ってすぐ右手には御嶽神社・御嶽塚もあって少し上に上がることができる。

その他、ユニークなものに「おしわぶきさま(しゃぶきさま)」と称する男根の形をした石神様がある。築造は天神の天降る頃(天孫降臨)と伝えられ、以前は神社の南方にあったものを明治初期に移されたとされる。

御朱印は社務所のある建物内の授与所で拝受できる。書き置きのみで初穂料は300円。お守りや御札なども並べられているので、場所はわかりやすい。今回は先客の後をついていっただけだが人がいない場合は呼び出せば対応いただける。



2025/08/14

子易神社

 板橋区板橋にある神社。東京都神社庁の公式サイトによれば創建は不詳ながら富士浅間神社の分霊を勧請。江戸時代には子安宮や子安神明称し、明治初年に現在と同じ子易神社に改称したとある。

境内は東武東上線の下板橋駅と大山駅の中間くらいの位置にある。境内はところどころに数多くの岩が配されており、富士塚とまではいかないが、それを意識したような造りになっている。

境内社として稲荷社と諏訪神社がある他に、別当寺だった福正寺から移された子安観音や胸突地蔵尊(身代わり地蔵尊)がある。また神楽殿や神輿庫などもあり、9月の例大祭には多くの人で賑わうようだ。

狛犬のある側の鳥居をくぐり、階段を上がると正面に拝殿、右手に手水舎がある。神楽殿の奥が社務所になっており、御朱印はブザーを押すと対応していただける。なお、初穂料は500円で書き置きのみとなっている。

こちらの神社、かなり前にお参りしたことがあり、その際は参拝マナーの悪い人が多いということで御朱印は未対応であった。時が過ぎ、御朱印対応いただけたこと大変ありがたかった。


2025/02/16

板橋東新町 氷川神社

 板橋区東新町にある神社。東京都神社庁によると旧上板橋村の鎮守で、創立は不詳ながら第五代孝昭天皇の御代三年四月末の日に創立された武蔵一宮氷川神社より勧請されたと伝えられる。

また、板橋区公式ページの説明では、境内にある郷土資料館内には地元の有志で集められた江戸時代から昭和40年代まで使用された農機具や生活道具など、1,000点余りが展示されているとあります。

場所は東武東上線のときわ台駅から徒歩で約15分ほどにあり、一ノ鳥居、二ノ鳥居、三ノ鳥居と石段を上がっていくと右手に手水舎、正面に拝殿が見えてくる。また、途中に社務所や参集殿などもある。

その他、境内末社は手水舎の右奥に稲荷神社、榛名神社、太宰府天満宮が並んでおり、左手には神楽殿も見える。地域の鎮守様というイメージよりも境内は広く規模が大きく感じられる。

御朱印は一ノ鳥居の右手にある神札授与所で受けられる。御朱印帳への直書きは行っておらず、書き置きのみ。通常の御朱印の他に、数量限定の切り絵御朱印や正月・辰の日限定の御朱印もある。



2020/06/20

熊野町熊野神社

板橋区熊野町にある神社。東京神社庁の由緒書によれば創立は応永年間、庭田主水正氏兼が、武州豊島郡中丸村に移住し、鎮守様として崇敬されてきた。庭田氏は常に敬神の念深く同族の繁栄を祈り氏神様として崇敬したが、ここに熊野権現を分祀したのが始まりらしい。


今回は自転車だったが電車での最寄り駅は東武東上線の大山駅で徒歩10分程度。境内は川越街道と山手通りが交差する首都高の下に位置する。駅からは少し距離があるが、山手通りを首都高に沿って歩けば鳥居が見えるので迷うことはないだろう。


鳥居をくぐると一対の狛犬に出迎えられ、左手に手水舎がある。手水舎は鳥避けのためか網がかけられているので上げて手を清める。左奥は神楽殿で正面に拝殿、その右手が社務所となっている。境内はある程度の広さがあるが一部駐車場として使われている。


この熊野町にある熊野神社にお参りするのは3回目。御朱印は書き手不在のことも多いためこれまでいただけなかった。現在はツイッター上で書き手の不在日を案内しているので事前に確認するとよいだろう。社務所では御朱印以外にお守りなども頒布している。


御朱印は社務所で御朱印帳を渡して番号札をもらって待つ形式。いくつか種類があるが、今回コロナ騒ぎで5ヶ月ほど御朱印巡りを自粛していたこともあり4ページに渡る御朱印をお願いした。初穂料は1,500円~で両側にアマビエが描かれている。


また御朱印とは別におみくじ付きの八咫烏の御神像(500円)もいただいた。これまで何回か社務所を訪れたがいつも丁寧に対応いただきありがたい。


2019/11/07

成増菅原神社

板橋区成増にある神社で創建年代は不詳。板橋区教育委員会による案内板によれば(平成三年)新編武蔵風土記には「山王社」、延宝七年(1680年)の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治二年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。


江戸時代には青蓮寺が別当となっていたが、旧成増村の鎮守として明治七年四月に旧社格「村社」が与えられた。菅原神社とあるように御祭神は菅原道真公で、明治十七年八月に本殿が再建され大正年間には拝殿が新築されている。



境内は東武東上線の成増駅から住宅街を北に進むと天神下公園があり、そこから参道につながる石段が見えるのでわかる。石段を上りきって一の鳥居、さらに参道を進むと右手に社務所があり、道路を挟んだ先に二の鳥居が見える。


鳥居の右手に手水舎があり、正面が拝殿。右手奥には立派な神楽殿も構える。また鳥居手前の左手には境内社の稲荷社、日枝社、愛宕社がある。それほど面積は大きくはないのだが高台にあるためか広々と感じる。


御朱印は書置きのみで、社務所の窓口で拝受できる。人が不在の際はインターホンで呼び出すと神職さんに対応していただける。書置きの御朱印を納めるためのケースを取り出したら、それを見て気に入られたようで少しお話ができた。


2019/04/04

ときわ台天祖神社

板橋区南常盤台にある神社。創建年代等は不詳で、いただいた由緒書によれば手がかりは神社の西北にあった古墳と伝承のみとなる。猫塚と狐塚と言われていた古墳は古くから人々が踏み込むことができない聖地だったとされる。


そこに何らかのきっかけで神々を祭る社がつくられたという説。また上板橋村の「原」という集落には神さまが現れた跡に「伊勢社」という社ができたという伝承があり、それは鎌倉時代、御深草天皇の頃と伝えられている。


江戸時代には川越街道の宿場町として栄え、村の鎮守として「神明宮」と称され、老杉老松の社が見えたという。寛政九年(1797年)に文人の大田南畝が訪れ、当時の様子を江戸の地誌に記している。


境内は東武東上線のときわ台駅南口から徒歩1分の場所にある。表参道の鳥居をくぐった右手には境内末社が並んでいる。手前から稲荷神社、北野神社、日枝神社、月読神社、伊勢神社という並びで奥には榛名神社もある。


参道を進むと一対の狛犬に出迎えられ、右手に手水舎、正面が拝殿となる。社殿の右手は参集殿と神輿庫があり、拝殿とつながっている神楽殿が左手に見える。社務所・授与所は参道左手にあるが今回は閉まっていた。


御朱印は授与所が開いている場合はそこで拝受できるが、閉まっている場合には神楽殿脇の入口を入って申し出ると対応していただける。由緒書や大田南畝に関する資料などもいただき、大変勉強になった。