2026/10/18

茶ノ木稲荷神社(市谷亀岡八幡宮摂社)

新宿区市谷八幡町にある神社。拝殿前の掲示によると、1200年以上前に弘法大師がこの地を開山したのが始まり。当時は稲嶺山(いなりやま)と呼ばれ地域の鎮守だった。江戸時代初期に市谷亀岡八幡宮が遷座するまで約700年にわたり茶ノ木稲荷神社が本社だったとされる。

摂社茶ノ木稲荷神社

御祭神は保食神=稲荷大神。食物衣服のことを司るのが御神徳だが古来より病気平癒に特別の信仰がある。伝承によれば白狐が、誤って茶の木で目をつき、それ以来崇敬者は茶を忌み、正月三が日は茶を呑まない習慣があったという。

茶ノ木稲荷神社 拝殿

眼病の人は一七日、あるいは三七日二十一日の間茶を絶って願えば霊験あらたかといわれている。江戸時代には参詣者が絶えることがなく、全国稲荷番付には前頭筆頭に位置するほどだったらしい。

市谷亀岡八幡宮 石段

現在は市谷亀岡八幡宮の境内摂社で、市谷亀岡八幡宮に向かう石段の途中左手に入ったところにある。階段を少し上ると右手がすぐ拝殿で、社殿全体を囲むように赤い提灯が並んでいるのが印象的だった。

茶ノ木稲荷神社 狐像

御朱印は市谷亀岡八幡宮の社務所で拝受できる。扉を開けるとカウンターがあるので、そこで書き置きタイプの御朱印を受けられる。初穂料は500円で、その他に市谷亀岡八幡宮の御朱印はもちろん、絵馬やお守りなどにも対応している。

茶ノ木稲荷神社 御朱印

2026/10/17

田端八幡神社

 北区田端にある神社。境内に掲示されている由緒書によると、田端村の鎮守として崇拝された神社で、御祭神は品陀和気命(応神天皇)。文治五年年(1189年)源頼朝が奥州征伐を終えて凱旋するときに鶴岡八幡宮を勧請して創建されたと伝えられる。

田端八幡神社 一の鳥居

別当寺は東覚寺で、寺の不動堂の前に現在立っている一対の仁王像は、明治の神仏分離令よりも前まではこの神社の参道入口に立っていた。江戸時代には門が閉ざされ、仁王像のところから参拝するのが通例となっていたらしい。

田端八幡神社 富士塚

境内はJR「田端駅」から徒歩5分の場所にある。石塀で分けられているが、東覚寺に隣接しており右手にある鳥居をくぐり、石段を上った二の鳥居の先に拝殿がある。また、参道途中の右手には富士塚と境内社の浅間神社、三峰神社、稲荷神社もお祀りされている。

田端八幡神社 手水舎

拝殿の手前には手水舎があり、一対の狛犬が迎えてくれる。参道を上る際に右手にいくつも並んでいるのは神輿庫がある。また、一の鳥居の手前には石橋が埋められているが、昭和初期に暗渠となった谷田川に架かっていたものが記念保存で移されたらしい。

田端八幡神社 拝殿

なお、御朱印は社殿左奥にある社務所に設置してあるスタンプを押す形式となっている。慎重に押したのだがスタンプが擦り切れており、上手くいかなかったのが残念。初穂料は賽銭箱に納めた。

田端八幡神社 御朱印

2026/10/16

上田端八幡神社

 北区田端にある神社。公式の北区観光ホームページによると“文治五年(1189年)に源頼朝が、この地の豪族豊島氏と共に奥州の藤原一族を平定(奥州征伐)し、その帰路に駐留した証として、鎌倉八幡宮を勧請”とある。

上田端八幡神社 一の鳥居

現在の田端はその昔、田端村と呼ばれ上田端と下田端に分かれていた。当神社は上田端の村人の鎮守で、別当寺は大龍寺となる。区内にはもう一つ田端八幡神社があるが、こちらは東覚寺が別当となっていた。

上田端八幡神社 二の鳥居

境内はJR・東京メトロ南北線「駒込駅」から徒歩14分の場所にある。田端駅からも同じくらいの距離となっている。住宅街の中に大きな鳥居があり、参道を進んだ先の石段を上がると二の鳥居。その先が拝殿で手前に手水舎がある。

上田端八幡神社 拝殿

社殿を囲むように通り道があり、境内社の白髭神社・稲荷神社・大山祗神社が祀られている。また境内に隣接する公園があり遊具の他にベンチがあるため、参拝後にゆっくり休憩することもできる。

上田端八幡神社 手水舎

この付近の畑の中には、かつて高さ二丈五尺(約8.3メートル)ある「争いの杉」と呼ばれる神木があったとされる。源義経を討伐に向かう途中の畠山茂忠が家来と松の木か杉の木かと争ったためそのように名付けられたらしい。

上田端八幡神社 境内社

参道の左手は社務所となっているが、御朱印はその窓口で拝受できる。神職が外から戻ったばかりでお休み中だったにも関わらず丁寧に対応いただいた。御朱印帳に直書きタイプで初穂料は300円。御守りなどもそこで受けられる。

上田端八幡神社 御朱印

2026/10/13

武蔵野神社

 小平市花小金井にある神社で別名は大土御祖神(おおつちみおやのかみ)。小平市史の資料によると、享保九年(1724年)上谷保村から毘沙門天を遷座したのが始まりとされる。村の鎮守として円成院が管理していたが、明治維新の際に分離独立した。

武蔵野神社 鳥居

その際に、末社に祀ってあった猿田彦大神を村の鎮守として祭祀し、社号を武蔵野神社とした。その後、明治41年(1908年)に諏訪神社を合祀。昭和26年(1951年)には郷土出身の護国の神(御霊神社)を配祀した。

武蔵野神社 手水舎

境内は西武新宿線「花小金井駅」から徒歩15分の場所にある。国道5号線沿いに歩くと鳥居があるのですぐにわかる。鳥居をくぐると森林の中を真っ直ぐに社殿に向かう参道があり朱色の灯籠が並んでいる。

武蔵野神社 拝殿

拝殿の左手前には小屋に納められた猿田彦大神御神像がある。猿田彦大神を祀る神社は他にもあるが、立ち姿の像を見るのは初めてだ。参道を挟んでそ向かい側に社務所がある。明かりがついており書き置きの御朱印を拝受できた。

武蔵野神社 猿田彦大神御神像

事前の調べでは神職が常駐していないため、小平神明宮で対応しているという情報があった。たまたま運がよかったのかもしれない。後になって気がついたのだが、日付(10月12日)を入れていただけばよかった。なお初穂料は500円だった。

武蔵野神社 猿田彦大神御神像

2026/10/12

小平熊野宮(一本榎神社)

 小平市仲町にある神社。公式ページによると、“武蔵国多摩郡殿ヶ谷村鎮座の延喜式内社・阿豆左味天神社の摂社として同郡岸村字岸組に産土神と奉斎されていた社を寛文年間に小川村明主の屋敷内に遷祀”とある。

小平熊野宮 鳥居

その後小川新田の開拓にあたり、守護神として宝永元年(1704年)に榎の大樹のもとに祠を建立し遷座したのが始まりとされる。往時この一帯は荒漠たる原野だったと言われており、街道を往来する人々は飲み水の確保に苦労していた。

小平熊野宮 夫婦欅

当時その中で、「武蔵野の一本榎」と呼ばれる巨木がそびえ立っており、目印や休息の場になっていた。初代の榎は寛保年間(1742~1744年)に枯木となったが、その後、一本榎神社として祀られた。現在、一本榎神社は境内の末社殿に合祀されている。

小平熊野宮 末社合祀殿

境内は西武新宿線「小平駅」から徒歩12分の住宅街の中にある。青梅街道沿いに目印となる大きな鳥居があるので、そこからまっすぐに進むとさらに鳥居がある。鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎が見える。

小平熊野宮 武蔵野一本榎

拝殿に向かう途中には大きな御神木の夫婦欅がありその存在感に圧倒される。社殿の左奥には末社の合祀殿が確認できる。境内社は一本榎神社・天神社・八幡社・稲荷社・白山社・庚申社で、それとは別に境内の右手前に水神社がお祀りされている。

小平熊野宮 水神社

社殿の右手が社務所になっており、御朱印はその窓口で拝受できる。人が不在の場合はインターホン呼び出し対応していただく。直書きと書き置きの2種類から選べるが、今回はシンプルな直書きタイプ(初穂料300円)をいただいた。

小平熊野宮 御朱印

2026/10/10

白鬚神社

 墨田区東向島にある神社。いただいた由緒書によると、創建は天暦五年(951年)に近江国志賀郡境打颪(滋賀県高島市)琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊としてお祀りしたことが始まりとされる。

白鬚神社 一の鳥居

主祭神は国土開拓の神として知られる猿田彦大神様で、人を正しく導くことから旅立安全・交通安全・商売繁昌・方災除の神として信仰を集めている。また、墨田区の旧寺島町の氏神様として地元の人たちに長く支えられてきた。

白鬚神社 二の鳥居

境内は東武スカイツリーライン「東向島駅」から徒歩10分の場所にある。かつては白鬚の森と呼ばれ向島八景、隅田川二十四景のひとつに数えられていた。最初の鳥居をくぐると右手に社殿が見える。

白鬚神社 拝殿

参道に沿って進むと右手に神楽殿、石段を上ると左手に手水舎があり、二番目の鳥居の先が拝殿となる。社殿の右手には境内社の水神社・三峯社、諏訪神社がある。三峯社はミツバチの巣になっており、そっと見守るようにと案内に記されていた。

白鬚神社 境内社

御朱印は社殿右手にある社務所の窓口で拝受できる。御朱印帳を渡すと直書き(初穂料500円)していただける。また、​隅田川七福神壽老神をお祀りしており、正月は七福神巡りで多くの人で賑わうようだ。

白鬚神社 御朱印


2026/10/04

高山稲荷神社

 港区高輪にある神社。創建年代は不詳ながら、昔の文献には凡そ500年前に、この地域に京都の伏見稲荷大社から御分霊を勧請したと記されている。当時高輪は小高い丘陵で、社殿は石段の山峰にあったため、高山神社と称されたと伝えられる。

高山稲荷神社 境内

かつて、現在の品川駅一帯は海辺がつづき、房総方面から往来する船の目標となったとされ、高輪南町・下高輪町の守護神として崇敬を集めた。関東大震災後国道の拡張に伴い、境内は縮小。昭和63年(1988年)に社殿の大改修が行われた。

高山稲荷神社 手水舎

最近まで境内は品川駅前にあったが、品川駅周辺の再開発に伴い社殿は解体され、令和7年(2025年)に高輪4-5-8へ移転した。かつて高台にあったとされるが、今回の移転により丘の上の神社に戻ったともいえる。

高山稲荷神社 拝殿

境内は品川駅から品川プリンスホテルの脇を抜けて坂を上った先で、7~8分歩くと鳥居が見える。新社殿は旧社殿を解体して再興したとされるが、狛犬以外の建物は見た目が新しく詳細は確認できなかった。

高山稲荷神社 神輿庫

拝殿の右手前に手水舎があり、奥には神輿庫があった。社殿の左手には社務所があり、御朱印は窓口で対応していただいた。インターホン呼び出し方式で書き置き(初穂料500円)のみ。御守りや御札もそこで受けられる。

高山稲荷神社 御朱印