品川区戸越にある神社。公式ページの記述によれば大永六戌丙年(1526年)村内藪清水水源地から御神体が出現し、行永法師が当地の草庵に奉安して山城国(京都府)石清水男山八幡宮の御分霊を勧請したのが始まりとされる。
御祭神は誉田別命(応神天皇)で厄除開運の御神徳と共に古くから戸越村の鎮守として地域の人々の崇敬を集め、明治期には村社に列格していたとされる。また我国文教の祖、殖産の守護神として崇められている。
都営浅草線の戸越駅から徒歩で7分程度の住宅街の中に境内がある。そのため鳥居が遠くから見えにくく一度前を通過してしまったほどだが、鳥居をくぐった瞬間に空気が一変するのは神社ならではだ。
鳥居からまっすぐに伸びた参道を進むと右手に社務所があり、その少し先に手水舎がある。さらに神楽殿や神輿庫が続いて、正面が拝殿という造り。社殿は何度か改築されたようだが風格があって素晴らしい。
神楽殿の手前に大きめの狛犬があるが、拝殿手前にも小さな狛犬が見える。年月の影響なのか少し削れてしまっているようだが、個人的にはこちらの小さい方に惹かれた。なお拝殿の両脇には末社(稲荷社と春日社)が鎮座している。
参拝したのが日曜日でもともと人は多いのだと思うがイベントがあるらしく人が右往左往していた。なお御朱印は社務所でいただくことができる。
何種類かの御朱印が用意されていて、申込用紙に希望の御朱印の番号を記入して御朱印帳と一緒に社務所窓口で手渡し書き上がると名前が呼ばれる。神楽殿の前が待合所のようになっていて休めるのはありがたい。
2018/06/17
2017/05/19
鳥越神社
台東区鳥越にある神社。創建は白雉二年(651年)に日本武尊が東国平定の途中、白鳥村と呼ばれていたこの地に滞在。その時に村民が白鳥明神として奉祀したことが始まりとされる。
その後、前九年の役の際に源頼家が白い鳥に浅瀬を教えられ軍勢を渡すことができたことから、鳥越大明神と改めたと伝えられる。
蔵前橋通り沿いにある鳥居をくぐると参道は真っ直ぐではなく左に折れ、その角に手水舎がある。そこから拝殿までは一直線だが途中で一対の逞しい狛犬に出迎えられる。
境内は小路がいくつも分かれており、参道の途中にある福寿神社の他にも神輿殿の奥に境内社として志々岐神社と祖霊舎がある。
かつては鳥越神社、熱田神社、第六天榊神社の三社があって広大な敷地だったと言われており、その景観が味わえないのは寂しい限りだ。
御朱印は社務所の窓口からお願いできる。由緒に関連しているものと考えられるが交通安全のお守りが目立つ。即座に対応いただいてありがたかった。
その後、前九年の役の際に源頼家が白い鳥に浅瀬を教えられ軍勢を渡すことができたことから、鳥越大明神と改めたと伝えられる。
蔵前橋通り沿いにある鳥居をくぐると参道は真っ直ぐではなく左に折れ、その角に手水舎がある。そこから拝殿までは一直線だが途中で一対の逞しい狛犬に出迎えられる。
境内は小路がいくつも分かれており、参道の途中にある福寿神社の他にも神輿殿の奥に境内社として志々岐神社と祖霊舎がある。
かつては鳥越神社、熱田神社、第六天榊神社の三社があって広大な敷地だったと言われており、その景観が味わえないのは寂しい限りだ。
御朱印は社務所の窓口からお願いできる。由緒に関連しているものと考えられるが交通安全のお守りが目立つ。即座に対応いただいてありがたかった。
浅草神社
台東区・浅草寺本堂の隣にある神社。御祭神は土師真中知命・桧前浜成命・桧前竹成命で三神を祀る神社なので三社さまと呼ばれている。
浅草・三社祭とは浅草神社例大祭が正式名なのだが、三社権現社としての歴史が長く、明治の神仏分離令まで三社の名称が使われていたことから通称の三社祭の方が有名。
鳥居をくぐると右手に神楽殿、左手が手水舎、正面が社殿という配置で、途中で二対の狛犬が出迎える。また拝殿右奥には境内社の被官稲荷神社があってここには狐像がある。
今回は三社祭の初日ということもあって境内も多くの人で賑わっており、一ノ宮から三ノ宮まで三基ある宮神輿を間近で見ることができた。
なお三社祭期間中は見開きの限定御朱印が授与され、特設の朱印所に御朱印帳を渡して待つことになる。恵比寿神や被官稲荷神社の御朱印も同時に受けることができるようだ。
帰り際まで気がつかなかったのだが、神楽殿のすぐ横にある木陰の中に夫婦狛犬があって、なんともかわいらしい姿。江戸初期からのものらしいが縁結びにご利益があるとか。
浅草・三社祭とは浅草神社例大祭が正式名なのだが、三社権現社としての歴史が長く、明治の神仏分離令まで三社の名称が使われていたことから通称の三社祭の方が有名。
鳥居をくぐると右手に神楽殿、左手が手水舎、正面が社殿という配置で、途中で二対の狛犬が出迎える。また拝殿右奥には境内社の被官稲荷神社があってここには狐像がある。
今回は三社祭の初日ということもあって境内も多くの人で賑わっており、一ノ宮から三ノ宮まで三基ある宮神輿を間近で見ることができた。
なお三社祭期間中は見開きの限定御朱印が授与され、特設の朱印所に御朱印帳を渡して待つことになる。恵比寿神や被官稲荷神社の御朱印も同時に受けることができるようだ。
帰り際まで気がつかなかったのだが、神楽殿のすぐ横にある木陰の中に夫婦狛犬があって、なんともかわいらしい姿。江戸初期からのものらしいが縁結びにご利益があるとか。
(追記)2017.11.06
浅草神社の拝殿の右手を奥に進むと境内社の被官稲荷神社がある。浅草神社の公式ページによれば創建は安政元年、新門辰五郎の妻が病に伏した際に京都の伏見稲荷神社に祈願したところ全快。同二年、町の人がお礼の意味も込め、伏見稲荷神社から祭神御分身を当地に勧請したとある。
また名称の由来は不明だが、被官とは官を被るという意から就職・出世と解せばよいとある。なお、御祭神は倉稲魂命で五穀豊穣、福徳円満、商売繁盛、立身出世、芸能上達に御神徳があるらしい。
なお御朱印は浅草神社の社務所で拝受できる。例大祭などがあるような時は朱印所は別に設けられることもあるので注意が必要だ。
(追記)2019.05.31
令和になって初めて参拝し御朱印をいただいた。
2017/05/14
福徳神社(芽吹神社)
中央区のコレド室町に隣接する神社。創建は不詳だが貞観年間(859~876年)には既に鎮座していたとされ、当時の村名から福徳神社と称した。
また二代将軍徳川秀忠公が慶長十九年に参詣した際にクヌギの皮付き鳥居に春の若芽が出ているのを見て、芽吹神社という別名を名付けた。
高層ビルに囲まれながらも境内はオープンな造りで赤い鳥居をくぐるとすぐに手水舎と社殿が見える。手水舎の奥は庭園風になっているが、さらに進むと複数のテーブルとベンチが置かれた休憩スペースになっている。
この一帯は再開発後に「福徳の森」と名付けられており、芽吹茶屋という今川焼と飲み物のカフェがある。発祥地と言われる神田今川橋に近いのでそれにちなんだものと思われる。
福徳の森内にはもう一つ薬祖神社も鎮座する。最初は福徳神社の境内社なのかと思ったがそうではない。大巳貴命と少彦名命の二神を祭神とする、もともと日本橋にあった神社が移転してきたものらしい。
なお福徳神社の御朱印は社殿左手にある授与所でいただける。私は持参した御朱印帳に受けたのだが、東京福めぐりの一社にもなっているのでオリジナルの折帖に押印できるようだ。
また二代将軍徳川秀忠公が慶長十九年に参詣した際にクヌギの皮付き鳥居に春の若芽が出ているのを見て、芽吹神社という別名を名付けた。
高層ビルに囲まれながらも境内はオープンな造りで赤い鳥居をくぐるとすぐに手水舎と社殿が見える。手水舎の奥は庭園風になっているが、さらに進むと複数のテーブルとベンチが置かれた休憩スペースになっている。
この一帯は再開発後に「福徳の森」と名付けられており、芽吹茶屋という今川焼と飲み物のカフェがある。発祥地と言われる神田今川橋に近いのでそれにちなんだものと思われる。
福徳の森内にはもう一つ薬祖神社も鎮座する。最初は福徳神社の境内社なのかと思ったがそうではない。大巳貴命と少彦名命の二神を祭神とする、もともと日本橋にあった神社が移転してきたものらしい。
なお福徳神社の御朱印は社殿左手にある授与所でいただける。私は持参した御朱印帳に受けたのだが、東京福めぐりの一社にもなっているのでオリジナルの折帖に押印できるようだ。
2017/03/27
上神明天祖神社
品川区二葉にある神社で東急大井町線・都営浅草線の中延駅から徒歩5~6分。龍神さまと白蛇さまが祀られており、巳が辰(身が立つ)ということで立身出世に御神徳があるとされる。
元々はこの地域は蛇窪村という地名だったが東京市に編入される際に地名にふさわしくないとして上蛇窪が上神明、下蛇窪が下神明に改名された。さらに10年後の町名整理で現在の二葉になったという経緯が社名にも表れている。
時代を感じる大鳥居は大正初期に建立されたもので、空襲で昭和20年に本殿などが焼失したにも関わらずこれだけは戦禍を免れたという。参道を進みいくつかの鳥居をくぐって石段を上った右手に手水舎がある。
正面に見える社殿は昭和36年に再建されたものらしいが、維持管理がしっかりしているためか新しい感じがする。拝殿に向かう手前の左側には京都伏見稲荷大社の御分霊が祀られている末社稲荷がある。
社殿右奥に進むと厳島弁天社がある。鯉が泳ぐ弁天池も整備されており、途中に白蛇や龍神に関連する造形物がいくつか置かれているのに気がつく。神妙な中にも手作り感があってちょっとほっこりできる。
御朱印は参道右手の社務所でお願いできるが、今回はオリジナル御朱印帳もいただくことにした。御朱印帳は人気が高いようで正月の頒布時には行列ができるほどらしい。
なお御朱印は上神明天祖神社、弁財天、蛇窪大明神の3種類が基本だが期間限定の御朱印など種類が豊富にあるようだ。
元々はこの地域は蛇窪村という地名だったが東京市に編入される際に地名にふさわしくないとして上蛇窪が上神明、下蛇窪が下神明に改名された。さらに10年後の町名整理で現在の二葉になったという経緯が社名にも表れている。
時代を感じる大鳥居は大正初期に建立されたもので、空襲で昭和20年に本殿などが焼失したにも関わらずこれだけは戦禍を免れたという。参道を進みいくつかの鳥居をくぐって石段を上った右手に手水舎がある。
正面に見える社殿は昭和36年に再建されたものらしいが、維持管理がしっかりしているためか新しい感じがする。拝殿に向かう手前の左側には京都伏見稲荷大社の御分霊が祀られている末社稲荷がある。
社殿右奥に進むと厳島弁天社がある。鯉が泳ぐ弁天池も整備されており、途中に白蛇や龍神に関連する造形物がいくつか置かれているのに気がつく。神妙な中にも手作り感があってちょっとほっこりできる。
御朱印は参道右手の社務所でお願いできるが、今回はオリジナル御朱印帳もいただくことにした。御朱印帳は人気が高いようで正月の頒布時には行列ができるほどらしい。
なお御朱印は上神明天祖神社、弁財天、蛇窪大明神の3種類が基本だが期間限定の御朱印など種類が豊富にあるようだ。
2017/03/03
波除稲荷神社
築地市場や周辺の寿司屋などの商店街をを見守るようにして鎮座する神社。いかにも市場な雰囲気の中で、その場所だけ木々が茂っていて異彩を放っている。
波除という名称からわかるように江戸時代はこの地域は海の中だ。明暦の大火後に築地において進められた埋立工事は堤防を築いても流されてしまい、困難を極めたと言われる。
ところがある夜に海面に光り輝く稲荷大神の御神体が漂っているのを発見し、現在の場所に社殿を造って御神体を祀ったところ、ピタリと波風が収まり無事に埋立工事が終了したという。それ以来“災難を除き、波を乗り切る”御神徳があると信仰が厚くなったとされる。
鳥居の先にすぐ拝殿があり、境内は広いわけではないが、獅子殿や玉子塚、すし塚、海老塚など築地らしい塚が並び、おきつね様と呼ばれる祠もある。
驚いたのは吉野家の石碑があったこと。吉野家一号店があったことを忘れないでという願いから境内に奉納されたらしい。
御朱印は拝殿の右手にある社務所でいただける。祭事や季節限定の御朱印も数多くあり、今回はひなまつりバーションだった。今日が3月3日であることはすっかり忘れていたが思いがけず嬉しくなった。
波除という名称からわかるように江戸時代はこの地域は海の中だ。明暦の大火後に築地において進められた埋立工事は堤防を築いても流されてしまい、困難を極めたと言われる。
ところがある夜に海面に光り輝く稲荷大神の御神体が漂っているのを発見し、現在の場所に社殿を造って御神体を祀ったところ、ピタリと波風が収まり無事に埋立工事が終了したという。それ以来“災難を除き、波を乗り切る”御神徳があると信仰が厚くなったとされる。
鳥居の先にすぐ拝殿があり、境内は広いわけではないが、獅子殿や玉子塚、すし塚、海老塚など築地らしい塚が並び、おきつね様と呼ばれる祠もある。
驚いたのは吉野家の石碑があったこと。吉野家一号店があったことを忘れないでという願いから境内に奉納されたらしい。
御朱印は拝殿の右手にある社務所でいただける。祭事や季節限定の御朱印も数多くあり、今回はひなまつりバーションだった。今日が3月3日であることはすっかり忘れていたが思いがけず嬉しくなった。
2017/03/01
高輪神社
品川駅と泉岳寺駅の間の第一京浜沿いにある神社で、室町中期創建と伝えられる高輪地区の総鎮守社。境内には聖徳太子を祀る太子堂があり、稲荷社、庚申堂、八幡社を合祀し昭和4年に高輪神社となった。
かつては道路(東海道)の向こう側は海だったようだが、現在はその面影はない。そして道路沿いと言っても拝殿は少し奥まったところにあり、ぼんやり歩いていると通り過ぎてしまうので注意が必要だ。
鳥居からすぐに石段を上り左手に手水舎、正面に拝殿が現れる。残念だったのはマンションやオフィスビルに囲まれていてすごく圧迫感があること。良かったのは1600~1700年代に奉納された石鳥居と狛犬が現在も残っていることだ。
御朱印は拝殿右手の社務所で受けることができる。都営浅草線上の8社を巡る「東京福めぐり」の一つになっていて、金で装飾されたオリジナルの折帖(御朱印帳)があるようだ。
これから2020年にJR山手線の新駅が開業すると、この周辺はさらに開発が進むと思われるが、いいかたちで神社が残って欲しいものだ。
鳥居からすぐに石段を上り左手に手水舎、正面に拝殿が現れる。残念だったのはマンションやオフィスビルに囲まれていてすごく圧迫感があること。良かったのは1600~1700年代に奉納された石鳥居と狛犬が現在も残っていることだ。
御朱印は拝殿右手の社務所で受けることができる。都営浅草線上の8社を巡る「東京福めぐり」の一つになっていて、金で装飾されたオリジナルの折帖(御朱印帳)があるようだ。
これから2020年にJR山手線の新駅が開業すると、この周辺はさらに開発が進むと思われるが、いいかたちで神社が残って欲しいものだ。
2017/02/21
烏森神社
新橋駅から歩いて3分ほどの場所にある神社。かつては烏森稲荷だったのが明治6年に改名されたようだ。烏森という地名の由来はこのあたりが江戸湾の砂浜だった頃に烏が多く集まって巣をかけていたためと言われている。
今ではオフィスビルが建ち並ぶ中の路地奥にユニークな形の鳥居が見える程度で、気にしていなければ通り過ぎてしまうような場所にある。この神社の存在を知ったのは、新橋で友人とお酒を飲んだ際にお店を探す途中で見つけたのが最初だ。
しかし意外にも?有名らしく平日の昼間にも関わらず参拝客が途絶えることはない。社殿もコンクリート造でガラスの扉の前に賽銭箱があり、そこでお参りをする。決して広いスペースではないが狛犬もしっかり配置されている。
御朱印は社殿の左側にある社務所で受けることができる。御朱印帳を渡すと待合室のようなところを案内され番号で呼び出される形式になっている。初穂料は500円だが幸飴と無病息災御守もいただける。
以前はシンプルな御朱印だったようだが今ではカラフルな御朱印がいただけると有名で御朱印ブームの先駆けとなったとも言われているようだ。
しかし意外にも?有名らしく平日の昼間にも関わらず参拝客が途絶えることはない。社殿もコンクリート造でガラスの扉の前に賽銭箱があり、そこでお参りをする。決して広いスペースではないが狛犬もしっかり配置されている。
御朱印は社殿の左側にある社務所で受けることができる。御朱印帳を渡すと待合室のようなところを案内され番号で呼び出される形式になっている。初穂料は500円だが幸飴と無病息災御守もいただける。
以前はシンプルな御朱印だったようだが今ではカラフルな御朱印がいただけると有名で御朱印ブームの先駆けとなったとも言われているようだ。
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