ラベル 荒川区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 荒川区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026/07/20

諏方神社

 荒川区西日暮里にある神社。公式ページによると元久二年(1205年)の創立で、豊島左衛門尉経泰が勧請。文安年間に太田道灌が神領を寄進し、寛永十二年(1635年)社殿を現在の地に遷座した。

諏方神社 鳥居

長野県の上諏訪社と同じ建御名方命を祀るが、「諏訪」ではなく「諏方(すわ)」としているのは、所蔵する元禄時代の掛軸(細井廣澤書)に「諏方大明神」とあることによるもので、日暮里・谷中の総鎮守の神社として「おすわさま」の名で知られている。

諏方神社 手水舎

境内はJR・東京メトロ「西日暮里駅」から徒歩4分の場所にある。地図だと近そうに見えるが、駅を出て西日暮里公園(道灌山)方面を上るため意外と時間がかかる。鳥居をくぐり参道を進むと右手に手水舎、階段を少し上がったところに社殿がある。

諏方神社 社殿

また、神輿庫?らしき大きく存在感のある建物が右手にあり、左手には神楽殿、左奥に社務所の建物が見える。いずれも重厚で歴史を感じる建物ばかり。さらに境内の中心には御神木がそびえ立っている。

諏方神社 神輿庫

境内社も複数あり、社殿左奥に御嶽山大神・八海山大神・三笠山大神、社殿右手に三宝荒神社、その奥に三峯神社、さらに階段を降りて右手には末廣稲荷神社・銭降稲荷神社という配置となっている。

諏方神社 境内社

なお、御朱印は社務所で拝受できる。インターホンで呼び出し、玄関を入ると対応していただける。御朱印は書き置きのみで、初穂料は500円。通常は授与所は閉まっているようなので、御守りなども社務所に聞いてみるのがよい。

諏方神社 御朱印


2019/09/29

胡録神社(第六天)

荒川区南千住にある神社。公式ページによれば永禄四年八月川中島合戦の敗れた上杉の家臣高田嘉左衛門が難を逃れてこの地(汐入)に落ちのび、高田、竹内、杉本等数名と永住の地と定めて土着し守護神として面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたのが始まりとされる。


古くは大六天と称していたが明治の神仏分離令の際に当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、社号を胡録神社と改称。神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたものとある。


境内は南千住駅から徒歩15分ほどの都立汐入公園近くにある。高層住宅街の中に鳥居があり、一の鳥居をくぐって参道を進むと左手に手水舎があり、石段を少し上って二の鳥居の先に拝殿が見える。狛犬は二対あってどちらも迫力がある。


奥に進むと本殿があり、その右手には神楽殿も確認できる。境内社として刀塚社と道祖神の二社があるが、一の鳥居をくぐってすぐ左手にあるので、最初に参道を本殿の方に進むと戻るかたちになる。


御朱印は拝殿左手にある社務所でいただくことができるが、この日は宮司様不在のため書置きのものを受けた。小さな賽銭箱に初穂料として500円を納め、引き出し上の入れ物の中にある御朱印を取り出す形式となっている。


毎月1日にカラフルな特別御朱印をいただけるが、通常御朱印も金粉が混ぜられた墨で書かれていて文字の部分がキラキラと光っている。なお社務所ではお守りなどの頒布は現在行っていないという掲示があった。


2019/08/05

石浜神社

荒川区南千住にある神社。公式ページの由緒書によれば聖武天皇の神亀元年(724年)勅願によって鎮座され1295年の歴史を持つ。文治五年(1189年)源頼朝の奥州征討に際し社殿を寄進したとされる。


また弘安四年(1281年)蒙古襲来の折に必勝を祈念しての鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣のご奉納などを経て中世初めに大社として発展した。『江戸名所図会』にも取り上げられ「神明さん」とも呼ばれ明治五年には郷社に列せられた。


境内は隅田川の白鬚橋近くにあり電車でのアクセスは南千住駅から徒歩で10分程度。一の鳥居をくぐって参道を進むとすぐに二の鳥居。両鳥居は荒川区登録有形文化財に指定されている。


さらに参道を進むと左手に手水舎があり、その先に社殿が確認できる。拝殿は神明造で右手は境内社の合社殿、左手には社務所がある。また拝殿手前の右手には招来(おいで)稲荷神社や富士塚、庚申塔などもあり歴史を感じることができる。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で窓口で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。その他に御守りなども数多く並んでいるので御朱印と一緒にいただくことができる。


なお浅草名所七福神の寿老神も祀られており、正月には七福神めぐりで賑わう。本社御朱印の初穂料は300円でオリジナル御朱印帳もあるようだ。


2018/07/09

尾久八幡神社

荒川区西尾久にある神社。創建年代は不詳だが荒川区の公式ページによれば尾久の地が、鎌倉の鶴岡八幡宮に寄進された正和元年(1312年)頃にさかのぼるとされ、神社に残る棟札から至徳二年(1385年)に社殿が建てられたことが確認されている。


江戸時代には旧上尾久村・旧下尾久村・旧船方村の鎮守として祀られ、明治時代には村社に列格。第二次大戦中に消失したが昭和二十八年には再建され地域の人々に信仰されてきた。


都電荒川線の宮の前駅のすぐ近くに境内はある。大通りに向いている鳥居をくぐると右手に手水舎があり、さらに参道を進み石段を少し上った先に拝殿となる。社殿は戦後に建てられてものだが迫力を感じる。


横長の境内の一部を駐車場として利用しているが少し高台になっているためか全く気にならない。また社殿左手には社殿左手に厳島神社も鎮座。大型の石の祠は大正十二年に建てられたものらしい。


御朱印は社殿右手にある授与所窓口で拝受できる。社務所のインターホンで呼び出しをしたら手前の窓口を案内され御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。何かの準備をしているのか工事スタッフ?の往来が頻繁にあったが丁寧に対応いただいた。


2017/06/04

素盞雄神社

荒川区南千住にあり、町屋地区・南千住地区・三河島地区の61カ町に氏子を持つ神社。境内に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発する際に詠んだ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の矢立初めの句碑がある。


創建は延暦十四年(795年)小塚にあった奇岩が光を放ち二神が翁に姿を変えて現れて神託を授けたため、これを祀ったのが始まりとされる。


国道4号線(日光街道)側とは別に南側にも鳥居がありそこをくぐって正面に拝殿を見ながら右手に手水舎がある。


ちょうど天王祭が開かれていて境内は人でいっぱいだった。神楽殿の右側では奉納太鼓も披露され盛り上がりは最高潮という感じ。あまりの人の多さにお詣りもそこそこに境内を後にした。


御朱印は参集殿と呼ばれるところでいただけるが、例大祭の御朱印は書き置きのみの対応だった。瑞光石や地蔵堂など見所がたくさんあるようなので、次回は通常日に落ち着いて参拝したい。