豊島区駒込にある神社。創建年代は不詳だが、いただいた資料「染井稲荷神社の由来と染井村」によれば『江戸図説』安政二年(1773年)や『新編江戸志』寛政年間(1789~1801年)などの古文書に記録されていることがわかる。
古くから旧染井村の鎮守として知られているが、昭和七年以前までは東京府北豊島郡巣鴨町上駒込染井○○○番地と称していた。周辺は日本を代表する桜「染井吉野(ソメイヨシノ)」発祥の地と言われる。
最寄駅はJR駒込駅が近いと思われるが今回は自転車で巣鴨方面から染井よしの桜の里公園を目指し、境内の前に出た。住宅街の中にあるが春の桜の季節には桜里祭りも開催され賑わうようだ。
鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎があり正面に拝殿が見える。300年以上の歴史がありながら関東大震災や東京大空襲からも免れたため、火防の神として信仰を集めている。拝殿前には狐像ではなく可愛らしい狛犬が置かれている。
境内右手の参道を外れて奥に入ったところに境内社があるのだが、こちらも稲荷社。その手前には神輿庫もあり小規模ながら現在でも地域の鎮守の役割を担っていることがわかる。
なお御朱印は境内左手にある社務所で拝受できる。階段を上がった2階に入り口があり御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。染井村の資料や「駒込桜物語」のパンフレットも一緒にいただいた。
2018/11/16
2018/08/28
高田總鎭守氷川神社
豊島区高田にある神社。公式ページによれば創建は第56代清和天皇の御代である貞観年間(859~877年)に、旧官幣大社・氷川神社の御分霊を現在の地に奉斎したことが始まりとされる。
御祭神は素盞嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命の三柱で、古来から山吹の里氷川宮、後氷川大明神と称されていたが、明治二年に氷川神社と改称した。また主祭神を素盞嗚尊としており、奇稲田姫命を主祭神とする下落合氷川神社と合わせて「夫婦の宮」と呼ばれていたらしい。
場所は都電荒川線の面影橋の近く。北西方向にも鳥居があるが通行止めになっていた。表参道の鳥居の前に境内は撮影禁止と注意書きがある。豊島区の登録文化財などがあって興味深いのだがが境外からの写真のみとした。
鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎、正面が拝殿となる。その右手には境内社として高田姫稲荷神社があり、社殿左奥には道祖神社も見える。御朱印は境内左手にある社務所でいただける。
御朱印帳への直書きは曜日や時間などが細かく指定されており、それ以外は書き置きとなる。なお御朱印は高田氷川神社、高田姫稲荷神社、兼務社の目白豊坂稲荷神社のセットのみで初穂料は1,000円なので注意が必要だ。
御祭神は素盞嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命の三柱で、古来から山吹の里氷川宮、後氷川大明神と称されていたが、明治二年に氷川神社と改称した。また主祭神を素盞嗚尊としており、奇稲田姫命を主祭神とする下落合氷川神社と合わせて「夫婦の宮」と呼ばれていたらしい。
場所は都電荒川線の面影橋の近く。北西方向にも鳥居があるが通行止めになっていた。表参道の鳥居の前に境内は撮影禁止と注意書きがある。豊島区の登録文化財などがあって興味深いのだがが境外からの写真のみとした。
鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎、正面が拝殿となる。その右手には境内社として高田姫稲荷神社があり、社殿左奥には道祖神社も見える。御朱印は境内左手にある社務所でいただける。
御朱印帳への直書きは曜日や時間などが細かく指定されており、それ以外は書き置きとなる。なお御朱印は高田氷川神社、高田姫稲荷神社、兼務社の目白豊坂稲荷神社のセットのみで初穂料は1,000円なので注意が必要だ。
2018/04/06
駒込妙義神社
妙義神社は豊島区駒込にある神社。当時東国にいた民族である蝦夷を討つために日本武尊が東征した際に当社地に陣営を構えたと伝えられる。
その後、この地に社が社が建てられ、日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から白鳥社と号したと言われる。
また太田道灌が文明三年(1471年)戦の前に当社を参詣。神馬、宝剣を寄進し戦勝を祈願し戦勝したことから豊島区最古の戦勝の宮とされている。
駒込駅から本郷通沿いを北上すると参道入口の案内板があるので、ビルの間を入っていくと鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり石段を上ると左手に龍の手水舎があり正面が拝殿となっている。
また拝殿右手奥には境内社として太田道灌公が祀られた末社道灌霊社が鎮座。そのすぐ隣には寛永十九年(1642年)庚申塔(豊島区有形文化財)もある。これは昭和40年に現在の社殿を再建する際、境内から発掘されたものらしい。
拝殿の左手に社務所があり、通常はそこで御朱印をいただけるようだが今回は留守のため、拝殿に置かれた書き置きの御朱印を手に取り、初穂料を賽銭箱に入れる形式になっていた。
その後、この地に社が社が建てられ、日本武尊が白鳥に生まれ変わり飛び立ったという伝説から白鳥社と号したと言われる。
また太田道灌が文明三年(1471年)戦の前に当社を参詣。神馬、宝剣を寄進し戦勝を祈願し戦勝したことから豊島区最古の戦勝の宮とされている。
駒込駅から本郷通沿いを北上すると参道入口の案内板があるので、ビルの間を入っていくと鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり石段を上ると左手に龍の手水舎があり正面が拝殿となっている。
また拝殿右手奥には境内社として太田道灌公が祀られた末社道灌霊社が鎮座。そのすぐ隣には寛永十九年(1642年)庚申塔(豊島区有形文化財)もある。これは昭和40年に現在の社殿を再建する際、境内から発掘されたものらしい。
拝殿の左手に社務所があり、通常はそこで御朱印をいただけるようだが今回は留守のため、拝殿に置かれた書き置きの御朱印を手に取り、初穂料を賽銭箱に入れる形式になっていた。
大國神社
豊島区駒込にある神社で天明三年(1783年)に宮司大島家が現在の地に移り住みお祀りしたのが始まりで、明治十二年(1879年)元老院幹事細川潤次郎男爵の協力を得て神社となった。
昭和二十年の空襲で消失し、戦後間もなく再建されたが老朽化のため2012年に社殿や境内の再整備が行われ現在に至る。御祭神は大己貴命(大國主命)で、十一代将軍徳川家斉が参詣し後将軍職を継いだため出世大黒とも呼ばれた。
場所はJR駒込駅北口を出てすぐ目の前で、鳥居と社殿が見える。鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎、正面が社殿、右手は鉄筋造りの社務所という配置になっている。
なお御朱印は社務所でいただけける。窓口に人が不在の場合はインターホンを押すと対応してもらえ、由緒書等の資料もお願いするといただけるようだ。
昭和二十年の空襲で消失し、戦後間もなく再建されたが老朽化のため2012年に社殿や境内の再整備が行われ現在に至る。御祭神は大己貴命(大國主命)で、十一代将軍徳川家斉が参詣し後将軍職を継いだため出世大黒とも呼ばれた。
場所はJR駒込駅北口を出てすぐ目の前で、鳥居と社殿が見える。鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎、正面が社殿、右手は鉄筋造りの社務所という配置になっている。
なお御朱印は社務所でいただけける。窓口に人が不在の場合はインターホンを押すと対応してもらえ、由緒書等の資料もお願いするといただけるようだ。
(追記)2026.07.28
8年ぶりの参拝。駒込駅の目の前なので暑い日でも気にならない。社務所に人がいたため、御朱印も拝受(直書きで初穂料は500円)した。以前のものと変わらないように見えて、スタンプのデザインや中心の印が新しくなっていた。
2017/11/10
子安稲荷神社
豊島区上池袋にある稲荷神社で、創建は不詳ながら公式ホームページによれば天正の年(1573~91)より以前から既に現在の地に祀らていたと言われる。
御祭神は保食神で、正徳五年(1715年)この地一帯に疫病が流行したときに、村人が祈りをささげたところ、この神社の霊験で多くの子供たちが病から助かったことから子安稲荷と呼ばれるようになったらしい。
同年9月から災疫から免れた報恩として大祭を執り行ったのが始まりで、毎年9月の第1週の土・日曜日に例大祭が行われる。この他に、節分・豆まきイベントが行われるなど小さな神社ながら動きがある。
川越街道から住宅地に入ったところにあり少しわかりにくい場所だが、いきなり赤い鳥居が現れる。参道を進むとすぐに社殿が見えて左手に神輿庫、右手に社務所がある。
社殿左手にある境内社は猿田彦大神だが大鳥大神と伏見稲荷神も合祀されている。境内は決して広いとは言えないが、落ち着いた雰囲気で社務所の前にベンチがあってカップルが待ち合わせ場所として使っていた。
御朱印やお守りは社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で要件を告げると中に案内される。対応いただいたのは気さくな神職さんで由緒書もいただけた。
御祭神は保食神で、正徳五年(1715年)この地一帯に疫病が流行したときに、村人が祈りをささげたところ、この神社の霊験で多くの子供たちが病から助かったことから子安稲荷と呼ばれるようになったらしい。
同年9月から災疫から免れた報恩として大祭を執り行ったのが始まりで、毎年9月の第1週の土・日曜日に例大祭が行われる。この他に、節分・豆まきイベントが行われるなど小さな神社ながら動きがある。
川越街道から住宅地に入ったところにあり少しわかりにくい場所だが、いきなり赤い鳥居が現れる。参道を進むとすぐに社殿が見えて左手に神輿庫、右手に社務所がある。
社殿左手にある境内社は猿田彦大神だが大鳥大神と伏見稲荷神も合祀されている。境内は決して広いとは言えないが、落ち着いた雰囲気で社務所の前にベンチがあってカップルが待ち合わせ場所として使っていた。
御朱印やお守りは社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で要件を告げると中に案内される。対応いただいたのは気さくな神職さんで由緒書もいただけた。
2017/09/30
巣鴨猿田彦大神庚申堂
豊島区巣鴨にある庚申堂で文亀二年(1502年)に高さ8尺(約2.4m)の庚申塔が建てられたのが始まりとされる。
庚申塚由来記によると昔、巣鴨の庚申塚は中山道の本街道で板橋宿の一つ手前の立場として上り下りの旅人の往来が激しく、休息所として賑わっていたとある。
明暦三年(1657年)に庚申堂の碑に立て掛けられた材木が倒れて庚申塔に当たり五つに砕けてしまったため、これを土中に埋められた。その上に再建したのが現在の庚申塔らしい。
明治初期に千葉県銚子市の猿田神社より猿田彦大神を勧請し合祀した。1972年に巣鴨庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され現在も護持している。
都電荒川線の庚申塚近くにあり、山門の先に一対の神猿がいる。境内は広くないため参拝客ですぐにいっぱいになってしまう。
通常は無人なのだが庚申の日に例祭があり、その時だけは御朱印を拝受できる。午前中10時過ぎでもすでに40人くらいの行列ができていた。
庚申塚由来記によると昔、巣鴨の庚申塚は中山道の本街道で板橋宿の一つ手前の立場として上り下りの旅人の往来が激しく、休息所として賑わっていたとある。
明暦三年(1657年)に庚申堂の碑に立て掛けられた材木が倒れて庚申塔に当たり五つに砕けてしまったため、これを土中に埋められた。その上に再建したのが現在の庚申塔らしい。
明治初期に千葉県銚子市の猿田神社より猿田彦大神を勧請し合祀した。1972年に巣鴨庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され現在も護持している。
都電荒川線の庚申塚近くにあり、山門の先に一対の神猿がいる。境内は広くないため参拝客ですぐにいっぱいになってしまう。
通常は無人なのだが庚申の日に例祭があり、その時だけは御朱印を拝受できる。午前中10時過ぎでもすでに40人くらいの行列ができていた。
2017/09/21
池袋氷川神社
豊島区池袋本町にある神社で、旧池袋村の鎮守さま。創建は古文書記録がなく詳細は不明だが、埼玉県大宮市鎮座の氷川神社から分かれた神社と言われ、天保元年(1830年)の『新編武蔵野風土記稿』の池袋村の条には「氷川社 村ノ鎮守」の記述がある。
境内には富士山の溶岩で築造された池袋富士塚がある。明治45年に富士講の一つである池袋月三十七夜元講によって築かれたもので、平成10年豊島区指定史跡となった。7月1日のお山開き以外は登ることはできないらしい。
池袋よりも下板橋駅に近い場所に位置し、住宅街の中に鳥居と長めの参道が現れる。参道を進むと二の鳥居があり、その手前にはユニークな表情の狛犬が一対。その先の右手が手水舎となる。
正面には空襲で被災後に復興し、1965年に造られた社殿があり、その左奥に池袋富士塚が見える。社殿右手には日本武尊、菅原道眞命、應神天皇を御祭神とする境内社がある。
境内は広く、古くてとてもよい風合いの神輿庫や土俵?(カバーがされていて確認ができない)や一部は児童公園となっていて参拝後の休憩には最適なスペースとなっている。
御朱印は富士塚の裏手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で、御朱印帳を渡して待つ形式。とても丁寧に対応いただいてありがたかった。
境内には富士山の溶岩で築造された池袋富士塚がある。明治45年に富士講の一つである池袋月三十七夜元講によって築かれたもので、平成10年豊島区指定史跡となった。7月1日のお山開き以外は登ることはできないらしい。
池袋よりも下板橋駅に近い場所に位置し、住宅街の中に鳥居と長めの参道が現れる。参道を進むと二の鳥居があり、その手前にはユニークな表情の狛犬が一対。その先の右手が手水舎となる。
正面には空襲で被災後に復興し、1965年に造られた社殿があり、その左奥に池袋富士塚が見える。社殿右手には日本武尊、菅原道眞命、應神天皇を御祭神とする境内社がある。
境内は広く、古くてとてもよい風合いの神輿庫や土俵?(カバーがされていて確認ができない)や一部は児童公園となっていて参拝後の休憩には最適なスペースとなっている。
御朱印は富士塚の裏手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で、御朱印帳を渡して待つ形式。とても丁寧に対応いただいてありがたかった。
2017/07/03
巣鴨天祖神社(大塚天祖神社)
豊島区南大塚にある神社で御祭神は天照皇大御神。創建は鎌倉時代末の元亨年間(1321~1324年)に領主である豊島氏が伊勢の皇大神宮を勧請したのが始まりとされる。
明治6年に神仏分離で天祖神社と名前が変わるまでは神明社・神明宮と呼ばれ江戸時代には十羅刹女堂も境内に祀られ、巣鴨村(現在の豊島区の半分)の鎮守として崇敬されてきた。
大塚駅南口を出て鳥居のかたちをした商店街を進むと右手に鳥居が見える。鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎、正面が拝殿という境内は小規模ながら独特の雰囲気があって静かだ。
境内社は本殿に向かって右側に稲荷社、三峯社、榛名社が、左側には熊野社、菅原社、厳島社が合祀。さらに奥には富士神社(富士塚)がある。
明治6年に神仏分離で天祖神社と名前が変わるまでは神明社・神明宮と呼ばれ江戸時代には十羅刹女堂も境内に祀られ、巣鴨村(現在の豊島区の半分)の鎮守として崇敬されてきた。
大塚駅南口を出て鳥居のかたちをした商店街を進むと右手に鳥居が見える。鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎、正面が拝殿という境内は小規模ながら独特の雰囲気があって静かだ。
境内社は本殿に向かって右側に稲荷社、三峯社、榛名社が、左側には熊野社、菅原社、厳島社が合祀。さらに奥には富士神社(富士塚)がある。
2017/04/22
雑司が谷大鳥神社
豊島区雑司が谷にある神社。元々は鬼子母神境内に正徳年間(1711~1716年)から鷲明神として祀られていたが明治の神仏分離令により分離し大鳥神社と改称した。
御祭神は日本武命で大正六年に社殿を新築し、昭和十五年弦巻川が暗渠化したのを機に社殿配置の変換が行われたらしい。
場所は移っても鬼子母神からはすぐ近くで、「雑司が谷七福神」の恵比寿神も祀られていることから参拝客が絶えない。一の鳥居をくぐり左手に神楽殿を見ながら二の鳥居を過ぎ、右手に手水舎がある。
正面が拝殿で独特な風貌でなかなか迫力のある狛犬が構えている。手前右手には恵比寿神、右奥には境内社として三杉稲荷神社が鎮座する。立派な御神木もあり、落ち着いた雰囲気の中で歴史を感じることができる神社だ。
以前にこの社には雑司が谷七福神巡りでお詣りに来たことがあるのだが、色紙に自分でスタンプを押す形式だったので正式に御朱印をいただくのは初めてだ。都電神社めぐりという企画の三社のうちの一社で御朱印には都電のスタンプが押印される。
御朱印は拝殿右手にある社務所で受けられるが、御朱印帳を取り出そうとバッグをゴソゴソしていたら受付の窓が開いて声をかけていただいた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。
御祭神は日本武命で大正六年に社殿を新築し、昭和十五年弦巻川が暗渠化したのを機に社殿配置の変換が行われたらしい。
場所は移っても鬼子母神からはすぐ近くで、「雑司が谷七福神」の恵比寿神も祀られていることから参拝客が絶えない。一の鳥居をくぐり左手に神楽殿を見ながら二の鳥居を過ぎ、右手に手水舎がある。
正面が拝殿で独特な風貌でなかなか迫力のある狛犬が構えている。手前右手には恵比寿神、右奥には境内社として三杉稲荷神社が鎮座する。立派な御神木もあり、落ち着いた雰囲気の中で歴史を感じることができる神社だ。
以前にこの社には雑司が谷七福神巡りでお詣りに来たことがあるのだが、色紙に自分でスタンプを押す形式だったので正式に御朱印をいただくのは初めてだ。都電神社めぐりという企画の三社のうちの一社で御朱印には都電のスタンプが押印される。
御朱印は拝殿右手にある社務所で受けられるが、御朱印帳を取り出そうとバッグをゴソゴソしていたら受付の窓が開いて声をかけていただいた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。
(追記)2019.05.01
新帝陛下御即位を奉祝して頒布された御朱印をいただきました。
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