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2026/07/15

三河稲荷神社

 文京区本郷にある神社で、家康公ゆかりの神社として知られる。文京区の公式ページには“徳川家康公が江戸開府のおり、先勝祈願が叶う、ご自身のお守りとして信仰していた三河稲荷の末社を吹上に奉遷された後、現在の地に遷座した。”とある。

鳥居

また、三河稲荷神社の公式ページによると、慶長以来、町内の鎮守として浄土宗 昌清寺内に祭祀していたが、明治の神仏分離令(神仏混淆の禁令)により、昌清寺と分離し、元町二丁目三番地に遷座した。

手水舎

その後、明治二十六年(1893年)に本郷給水所が設置されることになり、現在の地に遷座。関東大震災により全焼したものの、氏子崇敬者の寄進によって大正十三年(1924年)に本殿・拝殿・神楽殿が完成した。

三河稲荷神社 拝殿

境内は東京メトロ丸ノ内線「本郷三丁目駅」から徒歩4分くらいの場所にある。鳥居をくぐるとすぐに拝殿があり、手水舎は左手の少し奥まった場所にある。御祭神は宇迦之御魂命で境内社はない。

御朱印案内

境内左手に社務所があり、御朱印は社務所の2階で拝受できる。一見すると入りにくい雰囲気だが、案内がありインターホンで呼び出す方式。直書きで丁寧に対応していただき初穂料500円を納めた。

三河稲荷神社 御朱印




2026/06/13

妻戀神社(妻恋神社)

 文京区湯島にある神社。創建は不詳ながら4世紀頃に発祥したと伝えられている。日本武尊が全国統一のため、西や東を平定していたが三浦半島から房総へ渡る際に、東京湾で暴風雨に遭った。

鳥居

その時、妃の弟橘姫が夫の身代わりとして海に身を投じたことで海が鎮まり東国を平定できたという。文京区の公式ページには“郷民が尊の姫を慕う心をくんで、尊と姫を祀ったのがはじまり”とある。

手水舎

境内はJR「御茶ノ水駅」から徒歩10分の場所にあり、東京メトロ銀座線「末広町駅」からも近い。妻恋坂を上っていくと右手に鳥居が見える。鳥居をくぐると左手に手水舎、すぐ目の前が社殿という配置となっている。

社殿・拝殿

また、鳥居の右手奥には境内社の妻恋稲荷神社がある。妻恋神社は日本七社の一社とされているが、七社全てが稲荷神社のため「妻恋稲荷神社」がそれに当たるとすると説明しているケースもあるようだ。

境内社:妻恋稲荷神社

御朱印は境内にある社務所の窓口で拝受できる。書き手が常駐していないため、直書きをいただけるのは土曜日・日曜日の11時~15時に限られる。書き置きが用意されているため、それ以外の時間もいただくことは可能。初穂料は500円となっている。

御朱印


2026/06/10

金刀比羅宮 東京分社

 文京区本郷にある神社で、香川県にある金刀比羅宮の6分社の1つ。公式ページによると、文政2年(1819年)に板橋市左衛門の邸内祠として祀られたのが始まりとされる。明治21年(1888年)に金刀比羅宮の境外末社に加えられた。

鳥居

明治23年(1890年)に神田和泉町から深川に移転。その後、昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、高松藩松平家上屋敷の邸内社だった水道橋金刀比羅神社と合祀し昭和39年(1964年)に現在地に遷座。「水道橋のこんぴらさん」と呼ばれている。

狛犬

境内はJR「水道橋駅」から徒歩5分の場所にある。鳥居をくぐると燈籠が二基ありユニークな表情の狛犬に迎えられる。拝殿はすぐ前にあり絶えず参拝者が訪れていた。境内の裏手から御茶ノ水方面は小高い丘のようになっている。

金刀比羅宮 拝殿

水道橋に着くと東京ドームが目立つが、金刀比羅宮がある側は学校などが並び、比較的静かだ。境内は広いとはいえないが、木々が生い茂り癒し空間となっている。なお、手水舎はカバーが掛けられており止められていた。

水道橋稲荷社

また、本殿から駐車場を隔てた少し離れた場所に稲荷社がある。境内社と思われるが、調べても詳しい情報は得られなかった。社務所は境内左手にあり、御朱印(初穂料500円)はその窓口で拝受できる。

御朱印


2019/10/30

駒込天祖神社

文京区本駒込にある神社で創建は文治五年(1189年)。本郷區史には“創建の年月詳ならず”とあるが、源頼朝が奥州藤原泰衡追討の途中に立ち寄り、夢のお告げで松の枝に大麻がかかっているのを見つけた。征討のよい前触れと喜び神明宮を建立したというのが有力。


公式ページには“源頼朝公が、奥州藤原泰衝追討の途中このあたりに寄った折、霊夢にて松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝公は、神明を祀った”とある。


江戸時代には駒込神明宮と称され駒込の総鎮守として信仰を集めた。その後、明治五年には村社に列格。昭和二十年二月戦災により焼失するも戦後には参道敷石の整備や大鳥居の建設が行われ再建された。


境内はJR駒込駅から徒歩15分の場所にあり、鳥居から社殿まで真っ直ぐな参道が続いているのが見える。参道の途中、左手には亀石(健康・長寿)や境内社の鎮火稲荷神社と合祀三社殿(榊神社、須賀神社、戸隠熱田神社)がある。


存在感のある一対の狛犬の右手に手水舎があり、正面が神明造りの社殿となる。社殿の左手には神楽殿と授与所・社務所という配置。御神木だけの影響ではないと思うが神社独特の静寂と清々しい空気を感じることができる。


なお御朱印は授与所で拝受できるが、今回は御朱印帳(駒込天祖神社、駒込富士神社の御朱印込で初穂料2,500円)もいただいた。


通常は御朱印は1社500円の初穂料でいただくことができる。山開きの際や年末年始、節分の日以外は駒込富士神社の御朱印もこちらで拝受できる。


2019/04/22

櫻木神社

文京区本郷にある神社で、公式ページによれば人皇第百三代後土御門天皇の御宇文明年間
(1469~87年)に太田道灌が江戸築城の際、菅公の神霊を京都北野北野天満宮より同城内に勧請したのが始まりとされる。


二代将軍徳川秀忠の時代に湯島の台坂上にある旧櫻の馬場の地へ遷座。元禄三年(1690年)、五代将軍徳川綱吉が同所に昌平坂学問所を設立するにあたり、翌年(1691年)、現在地である本郷の富元山真光寺境内に遷座し現在に至る。


東京メトロの本郷駅から徒歩2~3分の場所に境内がある。春日通り沿いに鳥居が見えるのですぐにわかるが、街の中に溶け込んでいるので通り過ぎてしまうことも。鳥居をくぐるとすぐ右手に手水舎、正面が拝殿となる。


社殿の右手奥に境内社の見送稲荷神社がある。春日通りから境内右手の路地を入るとそちら側にも小さな鳥居があり、すぐに稲荷神社にお詣りすることもできる。例大祭とは別に毎年4月には稲荷祭も開かれているようだ。


御朱印は拝殿左手にある社務所で拝受できる。サ・ク・ラ・サ・ク櫻木天神と呼ばれるだけに合格祈願のお守りも頒布しているようだ。初穂料は300円で入口で御朱印帳を渡して待つ形式となる。


2019/02/04

簸川神社

文京区千石にある神社で、配布の資料によれば創立は第五代孝昭天皇御宇三年と伝えられ八幡太郎源義家が参籠した名社とある。御祭神は主祭神を素盞鳴命として稲田姫命、大己貴命の三柱で福徳円満、商売繁盛、縁結び、文芸の神として信仰が厚い。


当初は小石川植物園のある御殿坂辺にあった貝塚の古墳上にあったが、その後何度かの遷座を経て、元禄十二年に景勝地と言われた現在地に遷座した。社殿は戦災で焼失したが、1958年に再建。


社号は長年氷川神社を使用していたが、大正時代に疑問を持った神主毛利十世昌教が学者に研究を依頼した結果、簸川の文字が適合ということになり簸川神社に改めたらしい。


境内は都営線千石駅と東京メトロ茗荷谷駅との中間くらいに位置し、小石川植物園の裏手に入ると高台に鳥居が見える。鳥居をくぐって参道を少し進んだ左手に手水舎があり、少し回り込む感じに拝殿が建つ。


境内社は手水舎の右手前に五社神社、右手に白宝稲荷神社と水神社が鎮座。その左奥が社務所になる。境内には現代風の神楽殿があり、空きスペースは駐車場として利用されている。


御朱印は社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印を渡して書き上がるのを待つ形式。初穂料は300円で由緒などが記された資料もいただいた。大変丁寧に対応していただきありがたかった。



2019/02/01

小石川大神宮

文京区小石川にある神社。いただいた資料によると、昭和41年3月、伊勢神宮崇敬者総代熱烈な起請により、神宮大宮司の決済を経て皇大神宮別大麻(特別神璽)を授与された。


これは特例に属するもので伊勢神宮の分神たる社格と由緒をもち遙宮と呼ばれ、現在に至る。なお平成8年の社殿修復では第61回神宮式年遷宮の際の月讀宮の古材を使用した。


小石川大神宮は境内がビルの敷地内にあることで知られているが、現在このビルが工事中で、河合塾の裏手に仮殿遷座している。手水舎や社殿は簡易的なもので社務所もプレハブ造りとなっている。


御朱印は仮の社務所で拝受できる。窓口から御朱印帳を渡し書き上がるのを待つ形式。なお御朱印も仮殿遷座記念の文字が入った特別なものとなっている。正式な社殿の完成時期をお聞きしたところ約1年後とのこと。元のビルには戻らず、現在の仮殿の奥の敷地に造られるようだ。


2018/10/16

小日向神社

文京区小日向にある神社。もともと小日向の鎮守として栄えていた氷川神社と現在の音羽三丁目に鎮座していた田中八幡神社が明治二年に合祀され現社名になったとされる。明治五年には村社に列せられた。


東京メトロ江戸川橋駅から神田川を渡り、目白通りから一本奥の道を飯田橋方面に少し歩いたところにある服部坂を上ると鳥居が見える。交差点に小日向神社入口という表示があるのでわかりやすい。


服部坂とは江戸時代この地に旗本の服部権太夫の屋敷があったことに因んでそう呼ばれたらしいが、実は服部氏屋敷跡に移されたのが小日向神社となる。おそらく江戸時代は今よりも眺望のよい場所だったと推測される。


鳥居をくぐるとすぐ左手に手水舎がありやや右手正面が拝殿となる。参道には古い台座の一対の狛犬がある。狛犬本体は新しいもののようだ。


社殿の右側には境内社として秋葉稲荷神社が鎮座。そういえば参道途中に謎の鳥居と火の用心の石碑があったので火除けに関係があるのかもしれない。


なお御朱印は社殿の右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し形式で御朱印帳を渡して書き上がるのを待つ。社務所は自宅も兼ねているような建物で呼び出す際に少し気が引けたが快く応じていただいた。


2018/10/04

根津神社

文京区根津にある神社で景行天皇の御代日本武尊が駒込の地に創祀し、文明年間(1469~1487年)に太田道灌が社殿を奉建したとされる。御祭神は須佐之男命・大山咋命・誉田別命で東京十社の一つに数えられる。


主祭神の須佐之男命は災厄除け・厄祓いのご利益が期待できるが、相殿神として大国主命・菅原道真公が祀られているため縁結び・商売繁盛、学問・合格祈願にもご利益があるとされる。


東京メトロ千代田線の千駄木または根津駅からも、南北線の東大前駅からも徒歩で約5分程度の距離に境内がある。不忍通り沿いを歩き根津神社入口の交差点が見えたら道を置くに入れば表参道につながる。


鳥居をくぐり参道を進んでいくと神橋があり、その先に楼門、右手に舞殿を見ながら唐門に至る。門をくぐると正面に社殿が確認できる。社務所は客殿として舞殿の右奥にあるが透塀の中に授与所がある。


現在の社殿は宝永三年(1706年)五代将軍徳川綱吉が造影したもので、社殿の他に唐門、透塀、楼門等すべてが戦災から逃れて現存。国の重要文化財に指定されていて外国人観光客も数多く訪れる。


楼門の手前を左側に上っていくと境内社の乙女稲荷神社につながる千本鳥居が連なり、さらにその先に進むと駒込稲荷も鎮座する。途中には庚申塔や力石、賽の大神碑もあり見どころが多い。


春には100種3000株が咲き誇るつつじ苑で文京つつじまつりが開催され、7000坪ある境内が人で埋め尽くされるほど賑わう。平常日に訪れるのは今回が初めてだったためゆっくり散歩ができて大変良かった。


なお御朱印は授与所で拝受できる。御朱印帳を窓口で渡して書き上がるのを待つ形式で、オリジナルの御朱印帳もあるようだ。授与所の入口に御朱印の案内表示があるのでわかりやすい。