2026/06/10

金刀比羅宮 東京分社

 文京区本郷にある神社で、香川県にある金刀比羅宮の6分社の1つ。公式ページによると、文政2年(1819年)に板橋市左衛門の邸内祠として祀られたのが始まりとされる。明治21年(1888年)に金刀比羅宮の境外末社に加えられた。

鳥居

明治23年(1890年)に神田和泉町から深川に移転。その後、昭和20年(1945年)に戦災で焼失し、高松藩松平家上屋敷の邸内社だった水道橋金刀比羅神社と合祀し昭和39年(1964年)に現在地に遷座。「水道橋のこんぴらさん」と呼ばれている。

狛犬

境内はJR「水道橋駅」から徒歩5分の場所にある。鳥居をくぐると燈籠が二基ありユニークな表情の狛犬に迎えられる。拝殿はすぐ前にあり絶えず参拝者が訪れていた。境内の裏手から御茶ノ水方面は小高い丘のようになっている。

金刀比羅宮 拝殿

水道橋に着くと東京ドームが目立つが、金刀比羅宮がある側は学校などが並び、比較的静かだ。境内は広いとはいえないが、木々が生い茂り癒し空間となっている。なお、手水舎はカバーが掛けられており止められていた。

水道橋稲荷社

また、本殿から駐車場を隔てた少し離れた場所に稲荷社がある。境内社と思われるが、調べても詳しい情報は得られなかった。社務所は境内左手にあり、御朱印(初穂料500円)はその窓口で拝受できる。

御朱印


2026/06/06

城山熊野神社

 板橋区志村にある神社。公式ページによると、長久3年(1042年)、武将志村将監が熊野三山から勧請、奉斎することで創建したとされる。また、永保3年(1083年)の後三年の役で源義家が奥州の平定に向かう際に祈願したと伝えられる。

鳥居

境内は都営三田線「志村三丁目駅」から、徒歩6分くらいの位置にあるが“城山”という通り、坂を上ることになるため時間を要した。板橋区教育委員会の説明によれば、志村城は志村氏により築かれたとされるが、康正二年(1456年)に千葉自胤が赤塚城に入城した。

手水舎

熊野神社の位置する場所は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳上に鎮座している。大永四年(1524年)に千葉氏が滅亡した後は、志村七ヶ村の総鎮守となり、江戸時代には志村の鎮守として近隣から崇敬を集めた。

社殿

境内は木に囲まれ「鎮守の森」といわれる。鳥居をくぐり参道を真っ直ぐに進むと社殿の左手前に手水舎がある。右手に神楽殿があり、その奥に絵馬殿がある。絵馬殿には板橋区最古の絵馬が展示されているらしい。

末社合祀殿

社殿の右手奥に招魂社、さらにその右手前には末社として合殿に八社(皇大神宮・八幡神社・榛名神社・大山阿夫利神社・武蔵御嶽神社・桃花稲荷神社・溜下稲荷神社・石神社)が祀られている。

絵馬殿

御朱印は、手水舎をさらに奥に入ったところにある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し方式で書き置き(初穂料は300円)のみとなっている。初詣の際は、オリジナルのおみくじも授与しているらしい。

城山熊野神社 御朱印


2026/06/04

千住神社

 足立区千住宮元町にある神社。公式ページによると、創立は延長四年(926年)に伏見稲荷より分霊を勧請し、稲荷神社を創立したのが始まりで、弘安二年(1279年)に一の宮氷川神社の分霊を勧請し、氷川神社を創立した。

一の鳥居

明治五年(1872年)両社は村社と定められ翌年に稲荷神社を氷川神社に合祀。千住が日光街道の第一宿となり、その西方にあったため西森神社に改称し、さらに昭和四年(1929年)社名を千住神社と改められた。

手水舎

境内はJR・東京メトロ「北千住駅」から徒歩15分。国道4号線を越えた住宅地の中にある。3本の鳥居をくぐり奉納灯籠が続く先にあるのが社殿で、途中の左手に手水舎がある。また、第二次世界大戦の中で焼け残った夫婦銀杏の御神木も確認できる。

社殿

その他、火伏せ三社(三峯神社・恵比寿神社・八幡神社)や稲荷神社、天満宮、千住富士と呼ばれる浅間神社など数多くの末社がある。千寿七福神の願かけ恵比寿神は台座が回転する「まわる恵比寿様」として知られている。

境内末社

境内には神楽殿や神輿庫、御神木以外にも焦げ跡を残しながらも戦火を逃れ生き続けている銀杏の木(不屈のイチョウ)が大切に保存されているなど、1100年以上の歴史を誇る神社であることを感じさせる。

御神木

御朱印は社務所の授与口で拝受できる。人が不在の場合はインターホンで呼び出せば対応していただける。通常御朱印のほかに。限定御朱印や記念御朱印など選べる。通常御朱印は直書きで初穂料500円。恵比寿神の御朱印もあるようだ。

御朱印

2026/06/01

歌舞伎稲荷神社

 中央区銀座にある神社。創建年代は不詳で、2013年に劇場とオフィスタワーが合わさった第5期歌舞伎座に建て替えがされる以前は劇場の敷地内にあった。そのため、歌舞伎座の関係者や観劇者のみだったが、現在は誰でも参拝可能になっている。

鳥居・社殿

歌舞伎座の公式ページによると、歌舞伎興行の大入りや舞台関係者の安全、近隣地域の守護などを祈願して祀られているとある。歌舞伎座地上階にあるため境内はないが、以前と極力場所や方角が違わないよう社を配置したという。

歌舞伎座

ななお、2013年の「遷座祭」で、鐵砲洲稲荷神社の神職により株式会社歌舞伎座に移されていた神様を歌舞伎座のもとの神社に戻された。その他、毎年2月には「初午祭」、歌舞伎興行の初日と千穐楽には「奉告祭」が執り行われている。

扁額

歌舞伎座の正面入口に向かって右側に歌舞伎稲荷神社はある。鳥居と本殿がコンパクトにまとまっており、鳥居には「歌舞伎稲荷大明神」という扁額も確認できる。オープンで人通りの多い場所にあるため参拝する人も多い。

お土産処かおみせ

なお、御朱印は地下2階「お土産処かおみせ」で授与している。書き置きタイプで初穂料は300円。通常御朱印の他に、興行初日や興行千穐楽には限定版の御朱印(初穂料500円)も拝受できるようだ。

通常御朱印


2026/05/28

渋江白髭神社

 葛飾区東四つ木にある神社。いただいた由緒書きによれば、創建年代は不詳ながら渋江村創当初より伝わる古社で、「客人大権現」として広く信奉されたとある。ご祭神は猿田彦命で、合殿として大己貴命、建御名方命を奉祀している。

白鬚神社鳥居

江戸期に六代将軍家宣公の御側室左京の局が当社信仰により、七代家継公を授かったとして人気を呼び参詣者が絶えなかったといわれる。その後も花柳界をはじめ、数多くの参拝者があり、芸能上達、商売繁繁の神様として崇敬を集めた。

白鬚神社 手水舎

境内は京成押上線「四ツ木駅」から徒歩6分の住宅地内にある。鳥居をくぐり、すぐ右に手水舎がありそこからやや左方向に社殿がある。右奥には神楽殿とその右手には境内社の稲荷神社・皇産霊神社・大鳥神社・厳嶋神社が確認できる。

白鬚神社 拝殿

かつては樹齢数百年の老松があったとされるが、大正期に暴風雨や震災被害に遭い、現存しない。現在は昭和の御大典を奉祝して植樹された銀杏の木々に囲まれている。拝殿は嘉永五年の造営で、本殿・高欄は大正五年に再建された。

白鬚神社 境内末社

御朱印は社殿左手にある授与所で拝受できる。区内に兼務社が複数あるが、御朱印は全てこちらで対応している。今回は本社と境内末社の御朱印(初穂料はそれぞれ500円)をいただいた。なお四つ木白髭神社は別にあり、そこも兼務社となっている。

白鬚神社・末社 御朱印

2026/05/26

五方山熊野神社

 葛飾区立石にある神社。公式ページの由緒書きによれば、平安時代中期、一条天皇の長保年間(999~1003年)に創建されたとある。陰陽師として知られる安倍晴明公によって熊野大神が勧請され、葛飾区で最も古い神社となっている。

鳥居

都内では安倍晴明公が勧請した神社はこの神社のみで、徳川三代将軍 家光、八代将軍 吉宗が鷹狩りの際は必ず参拝したといわれる。なお、陰陽道の基本につながる正五角形の境内地は創建時のまま守られている。

社殿

境内は京成線「青砥駅」から徒歩10分の住宅地の中にあり、熊野幼稚園も併設されている。正五角形なのは陰陽道の陰陽五行説(木火土金水)に基づくもので、鎮座一千年記念事業として献灯提灯台、神門。神楽殿、五重塔が建立された。

鳥居をくぐって参道を進むと正面に社殿が見える。右手に手水舎があり社殿横に水神社、天満宮、浅間神社、稲荷神社などの境内社が祀られている。また、社殿の両脇にはクスノキのご神木があり樹齢300年以上とされ葛飾区の登録天然記念物となっている。

稲荷社

御朱印は境内の授与所にて拝受できる。その他、熊野魔除神札や東方コラボ絵馬、一粒万倍神札などユニークな授与品が確認できた。御朱印も通常御朱印(初穂料300円)の他に、カラフルな月替り御朱印(初穂料500円)も選べる。





2026/05/18

於玉稲荷神社

 葛飾区新小岩にある神社で、この地はかつて将軍様の鷹狩りの地「小松の里」として知られていた。いただいた由緒書きによると、安政二年(1855年)の大震火災で焼失した神田お玉ヶ池の本社を明治四年(1871年)に移したとされる。

鳥居(修繕中)

また、東京神社庁公式ページには“太田道灌、足利義政、伊達政宗はじめ諸公の祈願をうけ「江戸神社仏閣百選」にも選ばれた”とある。御祭神は倉稲魂命で五穀豊穣の神として崇敬されてきた。

手水舎

境内はJR総武線「新小岩駅」から徒歩8分の住宅街の中にある。鳥居が損傷したため現在は修繕中で、お聞きしたところ工事完了の時期はまだ決まっていないとのこと。左手に手水舎があり、階段を上ったところが拝殿がある。

於玉稲荷神社 拝殿

拝殿の左手には御神木と「舞楽殿」と書かれた建物があり、雅楽の奉奏のもと祭儀が行われている。生の雅楽・舞楽が楽しめる神社は多くはなく、貴重な存在といえる。なお、祭儀の案内は公式Instagramで案内されている。

舞楽殿

御朱印は階段を上がって右手にあるインターホンで呼び出す方式で拝受できる。初穂料は500円で直書きをしていただいた。その他、カラフルな書き置きもあるようだ。とても丁寧に対応していただきありがたかった。

御朱印

2026/05/15

中台稲荷神社

 板橋区若木にある神社。境内に掲示されている由緒書きによると、創建年代は不詳ながら、当社の境内地は稲荷大神が降臨した場所と伝えられ、「稲荷渡(とうかわたり)」と呼ばれていたとされる。

中台稲荷神社 鳥居

江戸時代は中台村の鎮守で延命寺が別当(管理者)にあたっていた。神社に伝わる「四季農耕図絵馬」は、明治十八年(1885年)氏子の中台東組によって奉納されたもので、農家の暮らしぶりが分かる資料として区の有形文化財に指定されている。

手水舎

境内は東武東上線「上板橋駅」から坂を上って徒歩10分くらいの場所にある。鳥居をくぐると左手に手水舎、斜め右方向に神楽殿が見える。石灯籠が並んでおり正面にある拝殿の手前で狛狐に出迎えられる。

拝殿

拝殿の左奥にはご神木(ムク)と境内社の御嶽神社がある。このムクの木は中山道と川越街道を結ぶ間道の目標とされ、「稲荷越の大木」 と呼ばれていた。なお、平成六年(1994年)に板橋区登録文化財の天然記念物に指定されている。

御神木と御嶽神社

御朱印は社務所で拝受できる。社務所入口の横にあるインターホンで呼び出し、窓口で御朱印帳を渡すと直書きしていただける。初穂料は500円で、窓口には御守りや御札。おみくじなどが並んでいた。

御朱印

2026/05/13

朝日稲荷神社

 中央区銀座にある神社。公式ページによると、古来より当地に鎮座し、守護神として崇敬を集めていたが、安政の大地震により社殿倒壊。三十間堀に幽没した後に社地は荒廃し見るかげもなかったとされる。

朝日稲荷神社 本殿

ところが、大正6年(1917年)に銀座を襲った大海嘯によって三十間堀より霊体が顕れ、館岡其が埋もれていた朝日稲荷のご神体を掘り出して奉安した。その後、関東大震災により転地を余儀なくされ銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。

屋上の境内

戦後社殿を再建し、昭和28年(1953年)宗教法人朝日稲荷神社となる。昭和58年(1983年)に本殿を屋上に安置したが、拝殿が大広ビル1階にありパイプにより大地につながっている。現在はエレベーターで8階に上がり屋上の本殿にお参りができる。

朝日稲荷神社 手水舎

屋上には手水舎があり、しっかり参拝できる。8階に社務所があり御朱印はそこで拝受できる。初穂料は500円で書き置きだが、御守りが付いている。「わたしの銀座散歩」というリーフレットに銀座八丁神社めぐりの案内があった。

朝日稲荷神社 御朱印

なお御朱印ではないが、2017年に銀座八丁神社めぐりのイベントがあり参加。スタンプラリー形式で全てをめぐると土鈴をいただけるという内容だった。今も続いているかどうかは不明だが、コロナ禍前の2019年までは毎年行われていたようだ。

銀座八丁神社めぐり


2026/05/10

桝箕稲荷神社

 新宿区坂町にある神社で社名は「ますみのいなりじんじゃ」と読む。創建は元和八年(1622年)と御朱印に記されており、坂町の鎮守としてもとは「真須美(ますみ)稲荷」と呼ばれていた。

江戸時代にこの地で恩賜米の配分が行われていたことから、現在の“桝箕”の文字が用いられるようになったらしい。場所は都営新宿線「曙橋駅」から徒歩7分くらいの住宅地の中にあり、境内は児童公園になっている。

昔からの社殿は戦災により焼失したが、町内の協力と奉納により仮社殿・仮社務所など段階的に設置されていき、昭和34年5月に現在の社殿が完成した。運営管理は枡箕稲荷神社崇敬保存会によって行われおり、祭事も執り行われいる。

社務所は隣接しているが通常は無人らしい。参拝した日はたまたま祭事の準備をしており、大勢の人で賑わっていた。御朱印は社殿に備え付けのプラスチックケースに書き置きが入っており200円を賽銭箱に入れて拝受できる。