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2026/05/10

桝箕稲荷神社

 新宿区坂町にある神社で社名は「ますみのいなりじんじゃ」と読む。創建は元和八年(1622年)と御朱印に記されており、坂町の鎮守としてもとは「真須美(ますみ)稲荷」と呼ばれていた。

江戸時代にこの地で恩賜米の配分が行われていたことから、現在の“桝箕”の文字が用いられるようになったらしい。場所は都営新宿線「曙橋駅」から徒歩7分くらいの住宅地の中にあり、境内は児童公園になっている。

昔からの社殿は戦災により焼失したが、町内の協力と奉納により仮社殿・仮社務所など段階的に設置されていき、昭和34年5月に現在の社殿が完成した。運営管理は枡箕稲荷神社崇敬保存会によって行われおり、祭事も執り行われいる。

社務所は隣接しているが通常は無人らしい。参拝した日はたまたま祭事の準備をしており、大勢の人で賑わっていた。御朱印は社殿に備え付けのプラスチックケースに書き置きが入っており200円を賽銭箱に入れて拝受できる。



2025/07/13

天神町北野神社

 新宿区天神町にある神社。創建年代は不詳だが古くから神社が鎮座しており、天神町という名称の由来とされている。規模は大きくはないが境内社として豊玉稲荷神社があり、北野神社の本殿の手前に鳥居が並んでいる。

境内は東京メトロ東西線の神楽坂駅から徒歩6分ほどの場所にある。大きな通り沿いに渡邊坂の目印があり、その前が鳥居なので迷わない。鳥居をくぐり、前に進んでいくと手水舎が見えてきて、正面に拝殿がある。

1945年の戦災で焼失したが、その後再建されたらしい。嘉永年間に稲荷社があることが古絵図に記録されているため、境内社の稲荷神社もかなり古くからあることがわかる。ちなみに渡邊坂は旗本渡邊源蔵の屋敷があったためとされる。

神職などは常駐しておらず、案内板に絵馬は通り沿いの理容岩下(理容店)にあり、御朱印は赤城神社にて請けていると掲示されていた。その通り、参拝後に赤城神社の社務所で御朱印(書き置きで初穂料は500円)を拝受した。


2023/02/17

築土八幡神社

 新宿区筑土八幡町にある神社。由緒書によると嵯峨天皇の御代(今から約千二百年前)に創建。伝教大師が神像を彫刻して祠に祀る際、筑紫の宇佐神宮の宮土をもとめて礎としたことから、筑土八幡宮と名づけられたとされる。

飯田橋駅から徒歩5分くらいの場所にあり、現住所は筑土八幡町だが道を挟んで反対側は津久戸町で音が似ていることから関係がありそうだ。境内地は2,200平米あり、昭和20年の戦災で焼失したが、昭和38年に再建され、周辺地域に住む人々の尊崇を集めている。

社殿は石段を上った丘の上に鎮座し、右手に手水舎と寛文4年に作られたという庚申塔、境内社の宮比神社がある。宮比神社はもともと下宮比町に1番地の旗本屋敷にあったものを明治40年に遷座。社殿は戦災で消失したが、昭和37年に再建された。

石段の途中にある石鳥居は享保11年に建立され、新宿区内で現存する最古の鳥居で、新宿区登録有形文化財に指定されている。社殿に向かって左手前には神輿庫と神楽坂の升本酒店から奉納された積樽があり、毎年9月に行われる例大祭に各町会の神輿が集まるらしい。

なお、御朱印には現在対応してないが、社務所前に置かれた由来書きに、日付を入れると御朱印のフォームになるものが挟まれている。由来書きには桜が咲く境内の写真が掲載されており、非常に綺麗なので桜の開花時期に再訪したい。



2020/01/30

夫婦木神社

新宿区大久保にある神社。公式ページにある由緒書によると淡路島に鎮座する伊邪那岐大神、伊邪那美大神の御分霊を奉願したと記されているが、詳しい創建年代などの説明はなく、縁結び、子授けなどのご利益の高い神社として知られている。


ホテルや結婚式場の神殿に御祭神である伊邪那岐大神、伊邪那美大神を奉斎し、年間で数多くの神殿結婚式を執り行っているらしい。また親しみやすく心の安らぎが得られるような神社を心がけるとあり、平服(普段着)での結婚式を挙げることができる。


場所は新大久保駅から大久保通りを東に進み、途中で戸山公園方面に向かって歩いた住宅街の中にある。一般的な広い境内がある神社と違って2階建て家屋全体が神社となっている感じなので初めてだとわかりにくいかもしれない。


鳥居をくぐると右手に境内社(御嶽神社、出世稲荷神社、大久保弁財天)があり、階段を上った先が、住宅の一室を利用して設けられた拝殿となる。また階段の途中にはバケツと柄杓による手水舎が設置されており、そこで両手を清めてから参拝する。


なお御朱印は一階の授与所でお願いすると拝受できる。通常の御札以外にも手作りのお守りなどもあり目指している親しみやすさ、気軽さを感じることができる。わかりにくい立地にあるにも関わらず、参拝客も多く知る人ぞ知る神社という印象だ。


2018/06/19

須賀神社(四谷)

新宿区須賀町にある神社で四谷十八ヵ町の鎮守として江戸初期より鎮座する。もとは稲荷神社で赤坂にった稲荷神社を江戸城建築のため四谷に遷座したことから始まる。


その後、神田明神の摂社に祀られていた日本橋伝馬町の守護神(須佐之男命)を合祀。牛頭天王社と併せて稲荷天王合社と呼ばれていた。明治元年に須賀神社と改称され現在に至る。


東京メトロの四谷三丁目から新宿通り沿いを四谷方面に歩き、途中で信濃町方面に向かって高台を上ったところに境内がある。映画『君の名は。』の感動的なラストシーンにも登場するため聖地と呼ばれている。


有名な石段を上っても行けるが常に写真撮影している人がいるため、気になる人は右脇の少しゆるい階段から境内に入るとよい。鳥居をくぐり参道右手に手水舎、正面が拝殿となる。


拝殿左には大国社と大国主命の像もある。また右手を社務所の方に入ってすぐの場所には祖霊社。その手前には火消し「く組」の梯子塚もあって思ったより見どころがたくさんある。


立派な神輿庫や神楽殿もあるので祭りの際は賑わうのだろう。さらに拝殿左を奥に進むと天白稲荷神社も鎮座。境内社としては立派なものだが、空襲で本社は消失したが天白稲荷神社は無事だったらしい。


なお御朱印は拝殿右奥にある社務所で拝受できる。参拝客が多いためか現在は書き置きのみの対応で、インターホンを押すと宮司様に丁寧に対応していただける。初穂料は300円だった。


2018/05/16

西向天神社

新宿区新宿六丁目にある神社。安貞二年(1282年)京都の北野天満宮を勧請し明恵上人が創建したと言われる。古くから東大久保村の鎮守として知られ、以前は大久保天満宮と称していた。


社殿が西向きであることから西向天神と呼ばれるようになり、寛永年間に、三大将軍家光が鷹狩りに来た際に荒廃した社を見て金の棗の茶入れを下賜して再興を促したことから棗(なつめ)天神という俗称もあるようだ。


新宿区役所の辺りからかつての都電の引き込み線だった細い道を進んでいくと右手の高台になった場所に境内がある。一の鳥居をくぐると石段で上った二ノ鳥居の左手に手水舎、正面が拝殿となる。


高台は横長になっておりサラリーマンが昼食休憩などができる小さな公園や旧別当寺の大聖院も隣接する。また藤圭子のデビュー曲「新宿の女」の歌碑、不動明王の石像や富士塚・東大久保富士などがある。


花園神社には藤圭子のヒット曲「夢は夜ひらく」の歌碑があるが、西向天神社は新宿25時間キャンペーンで飲食街を流した時のスタート地点だったとか。新宿歌舞伎町近くにありながらとても静かな場所で、しばらく休憩させていただいた。


なお御朱印は拝殿右手にある社務所で拝受できる。インターホン呼び出し方式で御朱印帳を渡すと丁寧に手書きしていただける。御朱印と一緒に東京の天神さまというリーフレットもいただいた。


2018/04/10

神楽坂若宮八幡神社

新宿区若宮にある神社。鎌倉時代の文治五年(1189年)秋に源頼朝公が奥州の藤原泰衡を征伐するため当所にて宿願し奥州平治の後に宮鎌倉鶴岡の若宮八幡宮を分社して創祀したとされる。


その後、一時衰退するも文明年間(1469~1487年)に太田道灌が江戸城鎮護のため再興させた。昭和二十年の空襲で社殿は焼失したが昭和三十四年に再建。現在の真新しい社殿は平成十一年に造営されたものらしい。境内社として小さな稲荷神社もあった。


神楽坂駅から早稲田通りを飯田橋方面に歩いて飯田橋駅の手前で右に入った奥に鎮座する。鳥居をくぐりすぐ左手が手水舎、正面が社殿というシンプルな構造。境内は大きくはないが手入れが行き届いている。


御朱印は右手にある社務所でいただける。インターホン呼び出し形式で、宮司さんにとても丁寧に対応していただけた。お聞きするのを忘れてしまったがお守りや御札などは見当たらなかった。


2017/08/04

鎧神社

新宿区北新宿にある神社。社務所でいただいた資料によれば創建は醍醐天皇の時代(898~929年)、理源大師の師弟である筑波の貞崇僧都、行基作と伝えられる薬師如来像が祀られ円照寺を創建。その際に寺の鬼門鎮護のためにこの社が創建されたとある。


鎧にまつわる話はいくつかあって日本武命が天皇の命によって東国の平定に向かったときに甲冑六具を蔵めたという言い伝えや、平将門公が藤原秀郷によって討たれた際に人々がその死を悼み、天暦元年(947年)に将門公の鎧を埋めたとも言われている。


北新宿の住宅街の中に突如姿を見せる鳥居をくぐって参道を進むと左手に手水舎、その奥が神輿庫が並び正面には大きな狛犬に守られるように拝殿が構える。境内の右手はよろい保育園が併設されていて昼間は園児の声が聞える。


摂社・天神社が参道の左側にあり成子天神の元の社であることから元天神とも言われるらしい。民俗学的にも貴重な狛犬型庚申塔があるのだがイタズラされたのか損傷がひどくて少し悲しくなった。


末社は稲荷神社、三峯社、子の権現の三神が本殿隣に合祀されている。それほど境内は広くはないが神楽殿もあり必要なものはすべて揃いつつ整然としているのが素晴らしい。


御朱印は拝殿隣の社務所でお願いできるのだが、宮司さんが不在な時が多く、5回目のお詣りにしてようやく御朱印をいただくことができた。ある意味貴重な御朱印と言える。


2017/06/09

東山稲荷神社

下落合氷川神社の近くにあるおとめ山公園に隣接する神社。かつてこの地を統治していた清和天皇の皇孫源経基が延長五年初午の日に京都稲荷山より勧請したのが始まりとされる。


別名、藤稲荷神社や富士稲荷神社とも言われ、源家一族の守り神として厚く信仰されたが、時代の流れとともに武家だけでなく庶民の信仰も厚くなり、「知恵と勇気」を授ける福徳の神として関東一円に信仰が広まったとされる。


場所はおとめ山公園を目指して入口手前を左に折れたところに鳥居が見え、そこをくぐって右側に石段を上っていくと神明造の社殿が見える。


狭小な境内の中に社務所があるのみだが、かつて下落合神社がおとめ山も含む広い境内を有していたことから考えると、境内社だった可能性も考えられる。


社務所はあるがそこでは御朱印対応はしていない。本務社である下落合氷川神社でいただける。急坂で少ししんどいかもしれないが、お詣り後は小さな池もあるおとめ山公園でゆっくり休憩できる。


下落合氷川神社

新宿区下落合の新目白通り沿いにある神社。創建は明らかではないが第五代孝昭天皇の御代(約2,400年前)とも、それより古いとも言われる。


江戸時代の資料によれば非常に広い境内の一角から湧き出る泉があり、神様の姿をした砂が吹き出たと伝えられる。その頃から下落合村の鎮守で薬王院が別当寺だったようだ。


御祭神は素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴命の三神で、江戸時代は当社を女体の宮、豊島区高田にある高田氷川神社を男体の宮として夫婦一対神として信仰されていた。


西武新宿線から見える鳥居がある方が表参道だと思っていたが、東側が正参道のようだ。参道を進むと右手に手水舎があり、一対の狛犬を抜けると正面が拝殿となる。


境内社は三峰社、天祖社、稲荷社、諏訪社、浅間社の5社と数は多いが合祀されていて、拝殿の裏側には神楽殿も見える。


御朱印は社務所にていただける。インターホン呼び出し形式で快く対応いただいた。また宮司さんのご案内で、近くのおとめ山にある東山稲荷神社の御朱印もいただけるとのことで、そちらのお詣りは後にして両方いただいた。